『仮面ライダーゼロワン』第5話「カレの情熱まんが道」

ゼロワンおもしろいなあ!。
話が面白くてバトルが見ごたえあってキャラクターも(演技力がたりないところはあれど)みんな嵌ってる。冷静に考えると(特に今はスタートダッシュ期間であるわけだし)そんなの当たり前というか、そうあるべきだろうと思うけど、でもここのところ何が言いたいのか何をやっているのか何をやろうとしているのか「わからない」と感じることが多いもんで、普通に観てれば理解ができるという意味で「わかる(わかりやすい)」ことがものすごくありがたいし、今のところそれが面白さに直結してる。

毎回いろんな仕事・職業を素材にするというフォーマットがしっかりしてるから、ヒューマギアやその契約者=毎回のゲストの話も流れとしてごく自然に始めることができるし、物語的に無理がない。そのうえで「マモル」や「アンナ」のように『ヒューマギア視点』で描く話もあれば、「一貫ニギロー」や「ジーペン」のように『(ヒューマギアに対する)人間の視点』で描く話があるのでバランスがいいんだよね。
・・・って、今気づいたけど、マトモな名前とふざけんなwwってな名前が混在してるのは視点の違いによるものなのか?。

ということで、今回は「漫画家先生が情熱を取り戻す話」でしたが、脚本家が違うせいか或人がかなり熱血だったりイズが勝手に判断したり迅がずいぶんと出張っていたり、「ん?」と思うところがありはしたけど許容範囲内。
人間がヒューマギアを道具として酷使することに対しどう答えを出すのか?という話なのかと思ったら、ヒューマギアという存在により漫画を描くことに対する情熱を失ってしまった漫画家がそれを取り戻すという話で、結局この漫画家のなかでヒューマギアが道具であるという意識・認識がどう変わったのか?ということについてはぼんやりとしたまんまだもんでスッキリ感はないけれど(或人的には先生が再びペンを握ったことで満足したみたいだけど)、この話の肝は『仕事(働くため)には『情熱』が必要で、ヒューマギアはそのサポートをする存在なのだ』という飛電是之介の理念と、その教えであり意識であり、ヒューマギア的には「命令」ということになるのかもだけど、それがイズのメモリに刻まれていること、それは誰に教えられるまでもなく飛電或人のなかにもしっかりとあること、そしてそこに「人間とヒューマギアの違い」があるのだということを描くことだったわけで、それを台詞で説明することなく流れのなかで伝えるところがよかったし、これだけ土台がしっかりしてれば脚本家が変わってもそれほど問題はないんじゃないかなと思えた。イズの「あるとじゃーないとー」の使い方なんてなるほどそう来たか!と感心しちゃったもん。

今回チラリと顔見せしたヒューマギア声優が次回のメインになるみたいだけど、こういう繋がりは純粋に面白いし、(顔見せシーンを作るために)なんで漫画家先生がアフレコ現場に居たのかといえばそれは休載になったからであろうと想像ができるわけで、こういう辻褄合わせをちゃんとやってくれると作品に対する信頼感がコツコツ積みあがっていくんだよね。

不破さんのプログライズキーは相変わらず硬いことは硬いっぽいけど何度も根性でこじ開けてるからか若干ゆるくなってんの笑うんだけどw(ていうか漫画家先生んちに不破さんが現れてからちょっとして刃さんがエイムズの車で現れてて、あたりに他の車両がなかったんだけど不破さんもしかして走ってきたの・・・?それで車より早く駆け付けたの・・・?w)、でも許容範囲内と言いはしたけど今回の不破さんの言動はちょっと違う・・・というか、わたしが思ってる不破さんのそれではなかったかなぁ。
具体的にはマギアに対する「炙れ、炙れ」と茶化すようなノリ。
バルカン状態だからといって不破さんが笑いを我慢するのがいつもよりも甘すぎる!もっと耐えろ!声に出すな!ってところまでは許せるとしても、ヒューマギアに対してこういう嘲笑するような態度は「ヒューマギアに殺されそうになった」過去持ちの不破さんにそぐわないと感じた。高橋さんがこれまでに描いてきた「ヒューマギアぶっ潰す!」を掲げる不破さんは社長が新しいフォームになったことに興味は抱けども「炙れ炙れ」なんて煽ったりせず自分でぶっ倒すことを選ぶ男だと思うんだけどな。
いずれは戦闘中でもヤイヤイ言い合いするんでいいけど、今はまだ不破さんにとって大事なことは一にも二にも「ヒューマギアぶっ潰す!」であって或人社長のギャグはあくまでも平時の息抜きであって欲しい。

あとちょっと心配というか不穏なのは今回のジーペンのシンギュラリティが「喜び」ではなく「憎しみ」のほうに向いてるように見えたことなのよね。酷い扱いを受ける仲間に対し悲しみとか同情とか共感とか、そういう感情を抱いたというよりも、仲間をひどく扱う漫画家に対して怒りや憎しみを抱いたように見えた。ゼツメライズされた瞬間これまでのヒューマギアたちは抵抗を見せたけど、ジーペンはそうでもなかったことがその根拠。
これまでは「悦び」や「遣り甲斐」といったプラスの感情を持ったヒューマギアばかりがマギア化されていて、あたりまえに「そういうもの」なのだと思ってたけど(そしてそこに切なさを感じていたけれど)、マイナスの感情でもシンギュラリティはシンギュラリティなわけで、なんなら感情の強さで言えばそちらのほうが激しいわけで、ゼツメライズという手法を取らずともいずれヒューマギアの反乱なんてものが起こる可能性は否定できないような・・・。


迅に対する滅の「お前は息子」発言は、文字通り滅が迅というヒューマギアを「造った」ってことだと思うのだけど、でもそうすると1話で迅が襲われそうになってたのはなぜだ?ってことになるよなぁ。迅が襲われそうになったのはマギア化した腹筋崩壊太郎ではなく腹筋崩壊太郎に触手ぶち込まれたシンギュラリティ未満のヒューマギアたちだったから、マギアは「人間(だけ)を襲う」けどマギアによって書き換えられたヒューマギアは人間もヒューマギアも関係なく襲う(その区別ができない)とか?。
で、デイブレイクのときのライダーも滅であるならば現在の外見からして滅が人間なら当時何歳だよ!?ってことになるわけで、滅もまたヒューマギア・・・ということになるのだろうか。つまり、迅は「ヒューマギアによって造られたヒューマギア」であるのだと。
とすれば現在の構図としては人類を滅亡しようとしてるヒューマギア(AI)VS人類という単純なものになるけど、でも滅と迅はおそらく或人たちと共闘することになるのだろうから「ここ」からどう構図が変わっていくのか楽しみだわー!。



それはそうと、世界体操とゼロワンのコラボCMにはびっくりした。本編だと思ったんで放送事故かとマジで焦った。
こういうコラボはワクワクするな!。