教師の進退を賭けて父と娘が走りで勝負ってな展開には大河だとかそういうの関係なくドラマとして頭抱えたけど(史実だったらどうしよう・・・)(でもこの作品「さすがにねーよ」と思ったことが史実であることが多いんですよね・・・)、終わってみればそれすらも確実に「必要」な展開であった。
宮藤さんを筆頭に作り手の方々が作りたいものは『これ』なんだ。これをやりたいがための「志ん生」であり「落語」であり、そのためのシマ-五りんなんだ。
それが頭と心に突き刺さる『志ん生(孝蔵)が語る「関東大震災」』だった。森山未來をキャスティングした意味はこれかと。
この状況で酒のことしか考えねえとか真正マジクズすぎて反吐が出そうになったけど、そんな人間だからこその凄みが語りシーンにあって、出そうになったものを飲み込まざるを得なかった(酒よりも女房の心配をするのは当たり前、だってお前がいなくなったら明日から遊んでいられなくなるだろうってな厩火事のサゲ、これマジクズ孝蔵が言うと「本気」で言ってるようにしか聞こえなかったけど、でもそのあとの「だって、さむいんだもん」でしっかりまとめたというかこっちが「本命」だったか!と、クドカンの“本気”を感じた)。
あと清さんな。峯田な。震災のあとの混乱であり日常が断ち切られる悲劇性を「シマの夫」という脇役中の脇役を使って描くために柄本佑を配したことも見事だけど、そこに清さんを絡ませること、(孝蔵の語りで小梅ともども死んでしまったのではないか・・・?と思ったのに生きてたことも含め)その絡ませ方がほんっとに絶妙な塩梅で、峯田清さんのあの「ニカッ」ってな笑顔にどれだけ(視聴者感情としては)救われることか!。