『いだてん~東京オリムピック噺~』第12回「太陽がいっぱい」

あまりにも哀しく、痛く、そして切ない四三のレース・・・の前に、まずはこれを語らなきゃ!。

スヤさんの旦那様、高橋洋さん演じる重行さん優しすぎない!??。
鯛をストックホルムの四三さんに届けたいという嫁に付き添って金栗家に来てくれたのみならず、四三さんに届けられないなら応援がてらみんなで食べよう!などという嫁の無茶提案にも付き合ってくれるうえに自転車節を笑って聞いてくれるとかさあ!。疲れて寝ちゃった嫁を見る優しい笑顔ってばよー!。

視聴者的には嫁ぐ前のスヤさんの気持ちを知っているだけに、「四三さん」を応援するスヤさんはやっぱり四三に特別な感情を抱いているように見えるし、重行さんも妻が「四三さん」に対して知人・友人以上の思い入れを持ってることは感じてると思うの。だから金栗家に付いてきたのかもしれないし、みんなで食べようっつって泊まってく(レースの現地時刻が夜中だから)と言い出した妻のことを内心面白くは思ってないかもしれないけど、いやでもそんな感じには見えなかったよね。ノリノリな妻のことをずっとニコニコ見守ってる重行さんにわたしは一切“裏”を感じなかった。ただただ丈夫で明るく元気な妻を大事にしてる旦那さんにしか見えなかった。なんて素敵な旦那様なのかと。

スヤさんが池部家へ嫁ぐと決めたのは四三さんのため(オリンピックに行く費用を作るため)だけでなく、相手が「重行さん」だからってのもあったんじゃないかな。そうであってほしい。

って、ゲホゲホ咳する大森監督と並べる感じで布団の中で咳をする重行さんというカットがあったんで、てっきり重行さんも兵蔵と同じ肺病なのかと思ってましたが、生まれつきの胃弱かー。肺病と違い胃弱だったら無理さえしなかったら今すぐどうこうってことはないように思うけど、どうなのかなぁ・・・重行さんをどうするのかなぁ・・・。


で四三さん。こっちはどうしてこういう構成にしたのかなぁ?。
なにがなんだかわからないまま「行方不明」の四三を治五郎さん以下みんな必死で探したというのに、本人はホテルのベッドで寝てましたという“灯台下暗し”をやりたかったのでしょうが、現実と同様にストックホルムの一家に助けられたという話になるならば(次回でそれをやるならば)、助けられたあとホテルで目を覚ました四三が状況を理解してないってのはおかしいと思うの。だってまさか意識不明のまま民家からホテルに運び込まれたわけじゃないだろうし(意識不明の状態が続いているならば運ぶのはホテルじゃなく病院だろう)、てことは一旦助けられた家で目を覚ましてるでしょ?。
今でもスウェーデン人の間で「金栗四三」は有名だってな話を数回前の紀行でやってたけど、それは助けてくれた民家との交流があったからなんだよね?。コースから外れて倒れてるところを地元住民に助けられたか、通訳ともう一人の日本人(あれ?あの人だれ?公使だっけ?)が発見した四三を近くの民家でひとまず休ませたんだかして、そのあとホテルに連れ帰ったってな流れだとして、その間四三が気を失ったまんまだとしたら交流もなにもないけど、事後交流ってことにするのだろうか。
最初に「結果」を見せてあとからそこに至る「過程」で何があったのかを見せるという手法は初回から使われているものでこれまではそれに感心させられてきたけれど、次回の「見せ方」を見てみないとわからないとは言え現時点では今回の時系列いじりは評価できないなぁ。

それに、オリンピックでも高座でも「初めて」その場に立つ(上がる)緊張感とかプレッシャーとか、そういうの全部ひっくるめて「同じ」だということはわかる。だからレース前の四三と高座に上がる前の孝蔵を「並走」させるのはわかる。でも四三はもう走り出したんだよ。走ってんだよ。それなのにまだその場に立ってない孝蔵の「走り」と一緒にすんのはおかしくない?。つーかなにあの背景エフェクト。綺麗な景色のなかスッスッハッハしてる四三の映像では「暑さ」が伝わらないからってんで、これで暑さでありランナーズハイになってる四三の身体のなかはこんな状態なんですよってなことを表現したのだと解釈しましたが、こんなのなくとも四三の視界、四三の幻覚、子供のころの自分=自分自身と対話する四三を見てるだけでわかるわけで、今回ばかりは孝蔵まじいらねえ!!と思った次第。


レース当日またもや体調を崩した大森監督を背負って会場に向かってて、そのせいで四三の体力は少なからず削られたし、アタフタしたままスタートしたことで精神的にも負担が掛かった・・・というふうに見えてしまったけど、それでいいのか?と、レース中に四三が「走り始めた頃の自分の姿」を何度もみて会話するにあたり、その子供が「幼少期の四三」であることをより強調するために父親との回想シーンを入れたいとなり、そこで四三が「父親と大森監督の姿を重ねる」(あの頃父親にしてやれなかったことが今ならばできる)という流れにしたのでしょうが、ストックホルムに向かう道中も、着いてからも、監督でありながら兵蔵ははっきり言って「足手まとい」にしかなってなかったというのに(兵蔵自身が「足手まといになりたくない」と言ってたし)、このうえ四三のレースに直結する形で「足を引っ張る」ような描き方をする必要があるのだろうかと思ったんだけど、これ史実ってマジかー。
なんで自力でスタジアムに向かわなければならなかったか?→車の手配が上手くいかなかったからってことは調べたけど、まさか大森監督の介護をしながら会場入りした(そのせいで遅刻した)ってのも実際にあったことだとは思わなかったわ。監督がアレなのはわかってんだから治五郎先生はムリでも弥彦が一緒についてけよって話じゃん。こういうとこ「坊ちゃん」なんだよなーってことで?。