『僕とシッポと神楽坂』第3話

徳丸先生は「様子を見に来た」でいいとしても(それ以上の説明は不要だとしても)人の話を遮る研修医はナルタウンの研修医であって坂の下とは何ら関係ないだろうに、かなめの飼い主探しは手伝ってもいいけど手術にまで参加してるのはなんでなん?。大変な手術だから人手が必要なのはわかるけど幸いにも徳丸先生がいることだし、なんの説明もなく手術まで手伝っててちょっとを首傾げてしまったわ。研修先はナルタウンであるわけだからかなめの飼い主探しも手術の助手もボランティアのようなものだろうけど、獣医学部ってそんなに時間あるの?ってなー。
最新鋭の設備を使い最先端の医療で動物を救うナルタウンと、一頭一匹一人それぞれと向き合いそれぞれに合った治療と対応で寄り添う坂の上はどちらがいいとか悪いとか、上とか下とかじゃないと思うんで、田代先生を尊敬していてナルタウンに押しかけた堀川くんが坂の上にも出入りすることでコオ先生の“在り方”のほうが自分に向いてると思うんでも、両者の「いいところ」を吸収する次世代の獣医師として存在してるんでも、どちらでもいいとは思うけど(希望としては後者かな)、なんにせよ堀川くんの立ち位置を劇中で説明してほしい。正直今回とか邪魔だったんで。
でもそういうの、患者の動物とその飼い主の話でどうでもよくなっちゃうんだよなぁ・・・。
まだわたしは余命を考えるほどの年ではないけど、それでもわたしにもし何かあって死なないまでも働けなくなったらどうしようとは思うわけで、それを考えるとそれなりの年で身体が丈夫でないのなら(最後まで看取ることができないかもしれないのなら)猫を拾うようなことはすべきではなかったのではないか、と思う一方で、夫の葬式の帰りに出会ってしまったならばそれは拾うよな、一緒に暮らしたいと思うよな、とも思うわけで、自身のこと、かなめの身体のこと、局面ごとの千津さんの心情が理解できてしまって、その先に待っていたかなめとの別れ、千津さんとの別れにはダダ泣きですわ・・・。千津さんの手をぺろぺろするかなめとかあかんて・・・(かなめの手術が終わるのを待つ千津さんの横で千津さんをじっと見守るオギさんもさすがであった)。
千津さんはかなめに看取られ、かなめは徳丸先生と暮らすことになるという切ないけどこれでよかったと思える結末の一方で、結局千津さんの家は大沢エステートとやらによって壊されてしまうらしく、ここからドラマの雰囲気が変わってしまいそうな予告ですが(ダイキチが汚れてたわよ!?)、人間だと思った矢柴さん神主はやっぱりこの世のものではない(コオ先生の前でだけ実体化してる)ようなので、矢柴さん神主がコオ先生を守ってくれると信じてるもんね!。