『仮面ライダービルド』第43話「もう一人のビルド」

遺伝子が奪われたり奪われた状態から(変身できない状態から)気合いで再度変身能力を自力で得たのにやっぱり遺伝子の影響がとかやってる作品であるわけだから今更感はすごくあるけど、それにしたってエボルトとベルナージュって星を滅ぼす宇宙人と滅ぼされた星の王妃という関係であって、そこに心理的因縁はあれど生命体としては別段『対』となる存在というわけではないだろうに(エボルトを封印のような状態にまで追い込めたわけだから戦力として対抗できるものを持ってはいるのでしょうが、星狩り族のエボルトにとっては滅ぼしてきた数多の星のひとつ(の王妃)ってだけでしょ?)、ジーニアスがエボルトの力の影響下にある万丈にベルナージュを文字通り「ぶつけて」、そしたらベルナージュの力が万丈に遷って万丈の暴走が抑えられた(中和しました)ってのはウルトラポカーンですわ・・・。
繰り返すけどエボルトの分身だった万丈はエボルトによってその遺伝子を吸い取られたことでエボルト成分ゼロになったんだよね?だから変身できなくなっちゃったんだよね?。それなのになんでまだエボルトがフルパワー発動したらその影響でスプラッシュのとき以上の戦闘狂になるの?ってな疑問もそうだけど、万丈の状態の元凶であるエボルトパワーとベルナージュの力が干渉し合うものだとしてもそのためにベルナージュをモノのように『利用する』戦兎の人間性に引いてしまった。この行為にベルナージュに対する敬意も尊重も皆無だもん。
ていうか、その前にあった「父親を庇い万丈に必殺技ぶちこむ戦兎」ってのがどうしても理解できなくてなぁ・・・。
「桐生戦兎」のなかにそもそも父親の記憶はないわけだよね。桐生戦兎に父親なんていないもの。だから桐生戦兎にとって大切なのはまず美空、そして万丈。そうでしょ?。
でもいろいろあって「葛城巧」として生きてきたころの記憶が戻った。そこには父親・葛城忍の記憶もある。息子として目の前で父親が致命傷を負わされるのを見ていられなかった。その気持ちはまぁわかる。
でも桐生戦兎と葛城巧は別なんでしょ?。葛城巧の精神を内包してようが、桐生戦兎なんでしょ?。つまり葛城巧として生きてきた二十数年ではなくたった1年かそこいらの桐生戦兎としての時間を取ったと、そういうことなんでしょ?。だったら万丈の暴走を止めることに注力すべきだろうに父親のことでオロオロオタオタした挙句父親を守るために万丈に意識を失うほどの攻撃を加えるとかやっぱりおまえ葛城巧じゃねーかと、“こういう時”にこそ本心って出るんじゃねーの?と、そう思えてしまうのだけど。
別に責めてるわけじゃないのよ。わたしはずっと桐生戦兎として生きるのではなくヒーロー・桐生戦兎としての精神を持った葛城巧として生きるのが筋だろうと思ってるわけで、だからついつい父親を庇っちゃうってのは当然のことだと思うの。
自称イケメン天才科学者の俺様戦兎って嫌いじゃなかったはずなのに、葛城巧としての記憶が戻って以降、桐生戦兎と葛城巧の関係性というか状態というか、そこいらへんの描き方がどうにもこうにも理解できないせいで主人公に対し嫌悪感がじわじわと育ちつつあることが結構辛いです。さんざんっぱら騙されてきたというのに「戦兎を助けてくれるの?」なんつってノコノコと自分の父親を乗っ取ってた敵に会いにいくヒロインの馬鹿っぷりもうんざりだし(なぜ内海あたりに拉致らせなかったのだろうか)。
うんざりと言えばなんかの理由で戦えなくなった戦兎のところへ万丈がやってきてなんかカッコいいこと言って再び立ち上がる戦兎っての何回目だよ。こういうのはここぞの1回だからこそときめくし燃えるんであって、何度もやられるとなんとも思わなくなりますよ?。「泣いてないから」「はいはい」とか台詞代えればいいってもんじゃないですよ?。