『アンナチュラル』第4話

今回はまたずいぶんとベタな話を持ってきたなーとは思いつつ(ミコトと息子の視線の先に工場長以下工員たちが“ザッザッ”と音が聞こえそうな勢いで向かってくるのが見えるカットとかベタすぎて笑っちゃった)、人海戦術でマンホールをひとつひとつ確認し、アキちゃんが見つけた「事故現場」で息子が見た父親のその瞬間の映像、そこからの事故当日の回想、クソ社長の花火パーティーと三人並んで花火を見て喜ぶ家族の様子、そして事故って転んだ父親が見上げた空に満開の花火、米津玄師の曲が流れるこの回想の問答無用の切なさよ!!。
こんなの見せられちゃったらバイクの傷跡の色味からマンホールを思い付き、そしたら整備工場のひとがマンホールオタクでカード?を収集しててどこにあるマンホールかわかっちゃうとかドラマだからだとしてもちょっと偶然・幸運が過ぎるだろーなんてツッコミ吹っ飛ぶわ!!。
このひとこの時どんな気持ちだったんだろうなぁ・・・どんな気持ちで花火を見上げていたんだろうなぁ・・・
直接の死因がなんであるか責任の所在をつきとめたとして(ミコト母がとことんまで渋江譲二のクソ社長を追い詰め賠償金を出させたとして)(ミコト母に「コテンパンにされたーい」という所長お前w)、それでも死んでしまったこのひとは、この夫はこの父親は、もどってこない。
ミコトが六郎に語ったように「家族のために働く」このひとは、傷ついた身体で帰宅し寝てる子供をツンツンして「幸せになれよー」と言うこのひとは、きっとすごくすごく心残りだろう。
そう思うと遣る瀬無さでいっぱいになるけど、でもこのひとの死によりまず工場長が会社(社長)の言いなりになることをやめるべく立ち上がり、それによりきっと工場の勤務状況は劇的に改善するだろう。それは工場で働く仲間たちとその家族を救うことになるだろう。
そしてミコトの仲介で工場のひとたちと接したことによって、石を投げるしかなかった息子の心が救われた。
だからその死には意味があったと思いたい。
で、この話を記事にすべく張り切る六郎をイケテツがなにやら含みのある目で見てましたが、なにがしかの目的のためにUDIに送り込んだ子ネズミなのに余計なことしやがって的なヤツならいいけどなんかよからぬことに利用されそうな予感しかしない。