『おんな城主 直虎』第49回「本能寺が変」

前作を超える「お笑い伊賀越え」は少なくとも10年単位ではないだろうと思ってましたが、翌年「ガチコント」として再び伊賀越えに笑わされることになるとは(笑)。
これなにが巧いかって「穴山殿を騙すための芝居」としてのコントであるってことよね。演出としてコントにしてるのではなくあくまでもドラマの流れとして、物語として一芝居打ったら結果コントになりましたって、なんと姑息な見せ方!!(笑)。この(大事なことは二回言う黒ノブついに発動!!な穴山殺しまで含めての)伊賀越えコントをやるための徳川家臣団のキャスティングと言われても納得の下手な芝居感(笑)。
あと信長の圧迫饗応な(笑)。それまでは信長暗殺という“隠し事”をしてる徳川目線で見てるから、後ろ暗い思いがあるからこそ「あんな感じ」に見えるのかと思ってたけどそういうの関係なくこれはヤベエ(笑)。恐ろしいのに面白いとか意味がわからん(笑)。信長と光秀の靴拭きプレイにドン引きする徳川のひとたちの図とかクッソ面白かった(笑)。
ていうかここまで魔王感出しまくりこりゃ恨まれ殺されて当然やなと思わせてきたというのに、ここへきて家康に箔付けさせるために一級品の茶器を上げようとするとかなにこのツンデレ魔王!!。こうなると圧迫饗応もほんとに「そちたちをもてなしたい」と思って自ら小鉢を丁寧に並べてあげてるだけのようにも見えてくるわけで、もしかして信長様ってば不器用・・・・・・?とか思えてきちゃうじゃないか!(そのせいで光秀の言動に疑問や不透明感が生まれてしまったようにも思う)。
そんでもってこれだけの信長を見せておきながら本能寺は全カット、南蛮人は女好きで女慣れしまくってるから遊び女は見抜かれる、だから46歳の主人公自ら生贄となるべく身を捧げます(でも頭が助けにきてくれるって信じてる!念のため自衛もするけど!)などと無意味なことはダラダラやるのに本能寺は一切見せませんとかどんだけひねくれてんのよ(笑)。
でもある意味正しい描き方ではあるよね。このドラマの主人公はあくまでも直虎で、直虎のできることといえば結局文字通りの『無意味』だったとはいえ逃走経路を確保することぐらいで、あとは本能寺がどうなろうが頭とラブコメするほうが主人公・直虎としては大事なことだもんね。直虎自身は日々が充実しすぎてて「忘れてた」みたいだけど、『頭との約束』をどうにかしなきゃドラマとして終われないんだろうし、そのために本能寺を二人が再会するための「理由」として使ったってだけなんだもんね。去年の“主人公が見知らぬことは描かない”ほどの拘りはないにせよ、直虎にとっても家康にとっても恐らく光秀の“真意”含め本能寺で何が行われたのかは『何がなんだかわからない』んだろうから、こういう描き方もアリであろう。
・・・まぁ、こういう結果になると氏真の働きもあまり意味はなかった、結局氏真も光秀に騙されたというか利用されたというか、そういうことだったん・・・?ということになってしまうわけですが、それでも前回の松也氏真があらゆる意味で頑張ったことに変わりはないのでそれはそれで(ていうか氏真はこれからが人生本番なところあるしねw)。