『僕たちがやりました』第7話

死んだ10人の「友人」として焼香させてくれと言うだけならいいけどあんな自己満足の作り話するだなんて、ここまで唯一その言動を理解できてた伊佐美もここへきてアウトかーと思ってたんだけど、『俺なりのチン魂』には笑ってしまった。吐くという行為は罪悪感の現れだろうし、たぶんリトル伊佐美は立ち上がれないまんまだろうから伊佐美はまぁいいや。トビオに比べたらはるかにまし。
「あれだけ苦しんだんだからそこそこじゃ割にあわない。幸せになってトントン」ってな発言はクズ通り越してもはやなんだかわからん。トビオの言うあれだけ「苦しんだ」ってのはそのときの回想シーンからして警察から逃げてた間のことだよね?。あと飛び降りたこと。冤罪というかほんとに別の人間が“犯人”だったのならば逃げてた時間を『苦しみ』と取るのはいいかもだけど自分らがやったことなわけで、飛び降りるぐらい苦しんだってことかもしれないけど10人の命を奪った事実に対する苦しみとして足りているとは到底思えないわけで、闇の中にすべく無理して自分にそう言い聞かせ思い込ませようとしてるにしてもそこで「割にあわない」なんて発想になることがわたしには心底わからん。表向きは「俺達がやったんじゃない」と確定してるわけだから市橋と友達になることはトビオにとって当たり前のことなんだとしても、市橋を“こんな身体”にしたのは自分達であるという事実がトビオのなかでどうなってるのだろうか。まさか無意識に市橋という自分が犯した罪の象徴と仲良くなることで自分に対して罰を与えてるとかそんなことじゃないよねえ?。蓮子の気持ちが自分にあると知りつつ市橋に応援してると言い、それなのに蓮子とヤッてしまうというチグハグな行動が自分で自分を追い詰めてるつもりなんだとしても、じゃあ市橋の気持ちはどうなるんだ?ってな話でしょ。
ていうかこの先市橋がどうなるのか原作バレ見ちゃったんだけど、その通りの展開になるんだとしたら胸糞悪いなんてもんじゃないよ?。というわけで今回もこれで〆ますね。ほんとなんなのこのドラマ。