『獄門島』

放送前に原作を何度目かの再読をしたうえで事前の番宣やらなにやらを見るにかなりの改変がなされるのではないかとあらゆる意味で覚悟をして臨みましたが、三姉妹のビジュアルを見た瞬間諦めかけたものの内容としてはほぼ原作通りと言ってもいいのではないかという忠実っぷりで驚き喜びしてたら和尚との対決シーンから超展開が待っておった(笑)。
いやあ・・・・・・「無駄無駄無駄無駄ァ!」と絶叫し「お前の犯した殺人は完全に無駄ですおつかれさまでした!ザマアミロ!アハハハハハハハ!」と哄笑した挙句ドウと背後にぶっ倒れるいやお前が誰よりもキチガイだよ・・・・・・・ってな金田一を見せられるとは思ってもみませんでした。あまりにも予想外の方向から球が飛んできて頭を直撃したってか、斬新とかそういうレベルじゃなかった。
で、獄門島の肝は三姉妹の異常な殺され方とかその犯人が島の重鎮三人であることではなく「そもそもの始まりは復員詐欺でした」というところにあるわけで、その「な、なんだってええええ!?」感を強調するためにとったのがこの演出でありこの金田一像だというならその判断でありチャレンジ精神は評価するし、このエキセントリック・・・というかもう一度書いちゃうけどキチガイ染みた金田一の言葉攻めを受けたらそら和尚も頓死するわな・・・という説得力があったし、ていうかそもそも探偵なんて人種はどこかおかしいんだよね。そんな人が戦争に行って沢山なんて言葉じゃ言い切れないほどの無意味な死、自分の力が全く及ばない無意味な殺人を見て、見届けて、戻ってきたらまたもや無意味な殺人を犯す奴がいて、何故人は人を殺すのか、その理由を知ることが生きる理由となっている、それしかない自分の愚かさを、自分こそが無意味であることを、突き付けられてしまった。
だから「無駄無駄無駄」「おつかれさまでした!」ってのは和尚たちだけでなく自分自身への言葉でもあるんじゃないかな。そしてそのまま死んだようにぶっ倒れた金田一は、その瞬間ほんとうに一度死んだのだとわたしは思う。ここで一度全身全霊で怒りを放出したことで、感情を爆発させたことで、金田一耕助はもう一度金田一耕助になる、ということなんじゃないかな。
自分のしてることの無意味さを知り、それでもやっぱり人が人を殺す理由を求めて事件に関わり続けることを選ぶ金田一は、たぶんもう二度とこんな風に感情をあらわにすることはないんだと思う。その身のうちに怒り、憤りを宿しながらもそれこそ風采の上がらないニコニコとした人懐っこい男になるんじゃないかな。
つまり何が言いたいかというと、獄門島を経た博己くん金田一が観たいです!!!ということなんですけどね(笑)。
最初からそういうつもりで、復員直後の金田一耕助を描きたいから獄門島という作品をチョイスしたのだと、これは言わば“掴み”であってこれから長谷川博己金田一耕助が始まるのだと、そう期待しつつ(言霊!)、でもこれからは謎解きというか犯人を追いつめる場面はもうちょっと「聞きやすく」してほしい。原作を読んで謎解きをしっかり理解してるわたしですらあまりにもあまりな金田一のアレっぷりに途中で「聞くこと」を放棄したもの・・・。