『仮面ライダーゴースト』第49話「無限!人の力!」

マコト兄ちゃんとアラン様を「俺たちに出来ることはもうなにもないからなんとかしてくれ」とタケルに全投げという情けない傍観者に成り下がらせたグレートアイザー?とやらを両親に愛されていたと知った(知らなかったのか・・・つい1話前だかにアデルに「子供を愛さない親なんていない!」とかなんとか偉そうに言ってた気がするけど・・・)タケルが『ラブボンバー』とかいうワンパンで倒しちゃったうえに、せっかくガンマイザーが「破壊された街もなおしとく?」と気を使ってくれたというのに「街は人間がなおすから結構です」「人間には無限の可能性があるんで」とかタケルが勝手に断ったせいで住む家をはじめいろんなものを失い食べるものにすら困ってる人たちがいるかもしれないというのに「おにぎりうめー!」ってほんと無理。
1話で死んだ主人公が命を燃やし尽くして生ききった英雄たちの魂と通じ合い、そして父と母の想いを知り、戦いのなかで得た多くの仲間たちとともにこれからは「普通の人間」としてご飯を食べて生きていくんだってなゴールは悪くないってかもうこれしかないよねってな綺麗な着地だとは思うんだけど、なんでタケルにこんな選択肢を与えるのかと。壊された街の再生なんて言われなけりゃそういう要素が入ってくることないよね?。みんな生き返ったってだけで充分じゃん。それなのになんでわざわざそういうことを台詞として言わせるのかと。言わせたんならぶっ壊されて瓦礫の山になった街の中で炊き出しに集うひとたちがみんな笑顔で豚汁食べてるとかさ、そういうカットを入れるべきだとわたしは思う。
最後のさいごまで無責任で無神経な脚本に、事実上の最終回を見終っても「これはどういうことなの?」「あれはなんだったの?」ってな疑問はいっぱいあるように思うけどそういうのぜんぶもうどうでもいい(考えたくもない)ってのが今の正直な気持ちです。


しかしあれですね・・・マコト兄ちゃんはまじで1年通してずっとライダースーツだったんですね・・・・・・。心からお疲れさまでしたと言ってあげたい・・・・・・(まだ終わってないけど)。