良々の壬生さんとキャナメのメロンヌ先生(なんだこのペンネームw)が二人三脚してる物語を見せられたらかつての滝藤さん高畑先生を戦って立て直したという五百旗頭さんの物語が見たくなっちゃうじゃないのよおおおおおおおおお!!。
壬生とメロンヌ先生の話に心が介入することは出来ないから、高畑先生の話と同時進行で描いたのかなと思ったんだけど、そのせいで双方の熱量がやや少なめになってしまったかなーという気がする。1.2話と比べて。心の話で『編集者は作家の一番目の読者である』ことと、壬生の話で『作家を溺れさせないよう読者と作家を繋ぎ、作家が溺れそうになったときは浮き輪を投げてやるのが編集者である』と、それを看板作家とアンケート最下位で打ち切りになった作家を通じて描くってのはやっぱり上手いし面白いんだけど、1.2話と比べると「グッとくる」瞬間がなくて、そこがちょっとだけ物足りなかったかな。1.2話を見て出来たこの作品への信頼があるからこその要求ですが。
あ、でも高畑先生に喝を入れるためにアオリを差し替えさせてくれという心から始まったお願いを快く引き受けてくれた制作?のおじさんにはグッときたよ!。主人公の思い付きを支えるために多くの人が力を貸してくれ、頭を下げてくれている。台詞として説明せずともこのおじさんのシーンを入れることでそれがわかるわけで、だからわたしはこのドラマが好きだと思う。
それはそうとして、黄昏ボンベイの決めギャグの説明が長すぎて苦笑い(笑)。説明されればなるほどねーとは思うけど(なるほどとは思うけど面白いとは思わないw)、説明されなきゃわかんないとかそりゃ「わけがわからん」言われるわと(笑)。それなのに「わかるヤツにはわかる」「わかるヤツだけわかればいい」というスタンスで連載を続けさせた壬生が全面的に悪いわ。
ってところで、そのことを壬生にどうわからせるか、どうやって気づかせるかって話で、編集者になってからは「読者には媚びない」と歯牙にもかけなかったアンケート葉書を『これは俺だ』と、かつて漫画が救いであり希望だった昔の自分を思い出すって、これはじんわりしたなー。
そこにちゃんとバイトと一緒にアンケート葉書を読みまくったという主人公の影響があったことだし、出来ることなら(高畑先生の話とは別にして)壬生とメロンヌ先生の話だけで1話みっちり見たかった。
心と高畑先生のほうは、高畑先生が立ち直ったのは心のアオリ文=主人公の力ってだけでなく、同時に読モの彼女が戻ってきたからという描き方だったのがよかった。だって10年以上連載やってるバイブスの看板作家が新人編集者にこんな煽り方されたぐらいで立ち直っちゃったんじゃかつての五百旗頭さんの戦いはなんだったんだ!?って話じゃん。以前とは状況が違うのかもだし、何より五百旗頭さんがどうやって高畑先生を立ち直らせたのか知らないけどさ、知らないけどさ!!!、でもこの程度じゃなかったと思うのよ。思いたい。だから心のアオリ文は“キッカケ”で、大部分は彼女が戻ってきたからなんだけど、でも心のアオリ文で高畑先生は心のことを編集者として認めた。このさじ加減が絶妙で、今回もいい気分で終わったわー。
あ!そうそう忘れるところだった。
女好きで読モの女を彼女にしてるぐらいだから身体を鍛えてても不思議じゃないけど(それにドアを挟んでの力比べであっさり勝っちゃう主人公(女子)w)、それにしたって週刊で連載しててあの生活であの身体、あのケツってどういうことですか!???w。
(ていうか、明白な時系列としては小熊のアオリに煽られやる気出す→彼女が戻ってきたので玄関先で取り縋ってうれし泣きってだけだと思うんだけど、ここから書き直したネームを全裸でFAXする間の流れが気になります。うれし泣き→ネーム描く→ベッドイン→FAXなのか、うれし泣き→ベッドイン→ネーム描く→FAXなのか。前者と考えるのが普通かもですが、高畑先生の性格からしてネーム描いたら即FAXすると思うんだよねぇ。そもそものキッカケは小熊に煽られたことにあるわけで、まず仕事をこなして小熊に俺の実力見たか!漫画には強いんだよコンニャロー!ってしてからゆっくりベッドでイチャイチャってな流れなのではないかと。でも全裸でFAXしてた。ここは確か。ということは・・・・・・・後者なのではないか・・・・・・?。彼女が戻ってきてうれし泣きしたその流れでベッドに行ってやることやって、その勢いでネーム描きあげFAX・・・ってのが自然かなーという気がするんだけど、だとすると高畑先生は全裸でネームを描いたということになろうわけで、FAXを介してるわけだから直接ではないものの、その原稿の匂いを嗅ぐ心って・・・・・・・とか考えてしまったw)
そして次回、ついにヤスケン安井さんのメイン回!!楽しみだー!!。