『わたしを離さないで』第6話

飽きたってのとは違うんだけど、なんかもう特に感想として残しておくようなこともないのかなーと、今回を見て思ってしまった。
だってトモが幼稚すぎるんだもん。このコテージでもうどれぐらい生活してるのか知らんけど、コテージでやることっつったらソレしかないわけでしょ。真実が居たコテージはむしろ特殊なわけで。
特定の相手がいるならその人とするだろうけど、特定の相手がいないなら誰と寝ようが誰とでも寝ようが責められる謂れはなくない?。こう言っちゃなんだけど「そういうもの」なんだから。
なのになんでトモだけショック受けてんの?。美和も「好きな人としかしたくない」っつってたから提供者全員が性に奔放だということでもないんだろうけど、それにしたってトモのこの反応はどうなのよ?と思ってしまうわ。
毎日サッカーばっかりやっててそっち方面には疎い少年のまんまのトモってなことなんだろうけど(でも好きでもない美和と肉体関係はある)、周り見えてなさすぎてそんな男を取りあう形になってる恭子と美和が馬鹿に見えるんだもん。
ってなことが主軸でありながら『公共の福祉』なんてものを持ち出されてもなぁ・・・。
天使だと教えられてきたけど、大切な友人=恭子であっても心臓をあげることはできないと思ってしまう自分は天使なんかではなくただの人間なのではないか、これからも自分たちのような存在を造り続けるのならば、何も考えないように作ってほしいと、自分の命は自分のものなのではないかなんて考えることがないようにという文字通り命を賭けた真実の演説。
そこで真実が望んだように何も考えず心を捨てて天使として生きることを選んだ恭子はどうなるのか?ってな話になるのかと思ったんだけど、でも真実のことがあって、トモに「本当に誰とでも寝てるのか?」と聞かれてしまったことでようやく美和とトモから離れる決心をし、今介護人として生きている恭子はやっぱり美和とトモに縛られてるっぽいよね。恐らく恭子がコテージを変わったことで、今現在まで連絡を取りあったりはしてなかったんだろうと思うんだけど、今現在の恭子と美和を見る限り、会わなかった時間になんの意味もないっぽいのがドラマとしてどうなのかなーと。
まぁ過去があって今現在があって、残りあと数話あるから「これから先」が描かれるかもしれないし、であれば過去があって、何の意味もない時間があって、今現在を経ての「これから」なんだと、これまでの全ての時間が三人の「これから」に繋がるんだと、そういうことになるのかなーとは思うんだけど、ここまでのところ描かれてるのは『提供者』だからこそ、『提供者』でなければならないような話ではないよね。特殊な環境下で育ち生活してるというのに、そこで生まれてる感情はとても生臭い。ただの人間と何ら変わらない感情がそこにはあるということになるならば、既にトモと美和の提供が始まってる今現在、この現実はなんなんだ?って話になるわけで、このドラマがどこへ向かおうとしているのかさっぱりわからない。