シアターコクーン・オンレパートリー2016『元禄港歌―千年の恋の森―』@シアターコクーン

猿之助さんがぜひやりたいと自ら出演を希望したとのことですが、わたしは今回が初見になります。
舞台上の猿之助さんは出来るだけ見逃したくないので恐らく一度は観なければとチケットを取ったでしょうが、なんだかんだで複数枚のチケットを所持していたのはもちろん出演者に高橋一生さんがいたからです。
でも終わってみたら猿之助さんでいっぱいだった。どれだけ一生くんを観ても、観ているつもりでも、幕が下りて席を立つときには「今日も亀ちゃん観たわー」という気持ちで満たされていました。

もうね、しゃーない。ここぞって場面でのこのひとの放出力と吸引力はやっぱりモノが違うから。
三味線弾きながら「葛の葉子別れ」を歌う場面、古い神社で翡翠を貰う場面、三人で手を取りあって小舟に乗って旅立つ場面、亀ちゃん演じる糸栄の“出番”と言えばこの三場面ぐらいなんですよね。あとはもうひたすら自分の想いを必死で身の内に留めようとし続けているだけなので、いつも猿之助ショー(注:愛を込めて)を観てる者としては物足りない・・・・・・・・・・・・とは思わなかったんだよねぇ。

なぜならば見せ場である三場面の濃度がというか密度というか・・・適切な表現が見つからないんだけど、その瞬間の猿之助力の発揮っぷりがすごかったから。
舞台に対する表現ではないということを自覚したうえで、量より質とはこういうことかと、そんなことを実感してしまったほど。いや猿之助ショーが質より量だとは言わないですよ?言ってないですよ?。ほんとよ?w。

ていうかわたしこの作品のことをほぼ何も知らない状態で拝見したんですが、まさか劇中で猿之助さんの三味線とお唄が聴けるだなんて思ってなかったんで(瞽女たちが酒宴の場で葛の葉子別れを弾き語るってのはあらすじで確認していたのでそのつもりではいましたが、まさか猿之助さんの“ソロ”がこんなに長いとは思ってなかったし、フルコーラスだとも思ってなかった)、もうそれだけで元取った感あったよね。

あと女形でのカーテンコール。歌舞伎は基本カーテンコールとかないですし、スーパー歌舞伎ではあるけど猿之助さんになってからは女形でセンターに立つことはないですし、だからそうそう観られるものじゃないんだけど、女形としてお辞儀をする猿之助さんのたおやかな美しさにはうっとりでした。隣の宮沢りえより美しいですからね!亀ちゃんお母さん役なのに!りえちゃん娘役なのに!いやまじで!!。

あとBL列8番に座った回があって(この席(ってかBL列)わたしこれだけコクーンに入ってるのに今回が初めてだったんだけど、結構いいですね)、蜷川さんの舞台って通路を多用するのでわたしの真横を通って客席から出入りすることがたびたびあったんだけど、猿之助さんは姿が見えなくなるまでずっと背中で演技し続けてて、他のキャストもみんなそうではあるんだろうけど、でも背中だからこそ猿之助さんの地力がどれほどすごいのか目に見えてわかったんだよね(あと鈴木杏ちゃんの声量。階段昇って客席入り口ギリギリのところでスタンバってんのは視界の端に見えてたんですが、出と同時にわたしから50センチぐらいのところで台詞が大音量でズバーンと発せられたもんで思わずビクッ!!となってしまったw)。
そんなこんなで「亀ちゃん充」できましたw。

で、本命の一生くん。
一生くんは港町で廻船問屋を営む筑前屋の次男坊です。甘えん坊のちょっとチンピラぶってる坊ちゃんです。登場シーンからもうチンピラかわいい。
なにやら喧嘩してるところへ俵積んだ荷台に座り引っ張られて登場するんだけど、ニヤニヤ喧嘩を見物してる一生くんはおまたを結構ガバっと広げてらっしゃるので紫の襦袢?まさか褌?がチラ見えしてるわ、脛毛見えるわで、大層・・・よろしい登場シーンでござった。

そこへ偶然出会わした江戸帰りのお兄ちゃんが段田さんで、まぁそこにはやや複雑な関係性というか秘密があったりするわけなんですが、相手が段田さんだけに一生くんの万次郎がやんちゃ末っ子感バリバリでだな、至極可愛い。

で、万次郎は杏ちゃん演じる歌春ともう3年も秘密の恋を育んでるんだけど、呑みすぎたから風にあたってこようと席を外すときにさりげなく歌春の肩をスッと触って密会の合図をするわけですよ。これがエロい。坊ちゃんやりやがるw。

そんで待ってた部屋に現れた歌春はその直前に万次郎に縁談があることを知ってしまい、別れを切りだすのね。そしたらそれについては特に反論しないというか、お前がそう言うなら仕方ないなってな態度なんだけど、「でもお前は俺を忘れられない。だって俺がお前の初めての男だからな」とかなんとか言うわけですよ。でもこれはエロくないw。なんかエロくないw。そしてここでわかったよね。この男、ダメンズだな、と(笑)。

思いがけずお腹いっぱいになった亀ちゃんに対し、一生くんは(役的に)期待したほどではなかった・・・・・・・かなぁ。基本受け身な男で、そこには自分は正真正銘本妻の子であるのに、父親は腹違いの兄を跡継ぎにしようとしている(兄ばかり目をかけ自分には期待してくれない)ことに対する不満とか嫉妬とか哀しみとか、そういう感情があったりするのだろうと思ってたんだけど特にそういうことでもなく、自分のせいで愛する女は命を落とし兄は視力を失ったというのにただただ泣きわめき呆然とするだけで、もうちょい何かあってもいいのになーとは思った。

一生くんの万次郎は歌春を見る目や信助に向ける目、そして両親それぞれに対する視線、表情のなかでも特に『目』に感情が揺らぎ出てるので、そこから万次郎の想いを想像することはできるし、跡継ぎ予定の兄ちゃんは旅立ってしまったわけで、これから先万次郎がどう変わっていくのだろうか、どんな男になるのだろうか、という興味であり希望はあるけど、“舞台上”で見たかったなーと。

万次郎に限らずみんなあまり自分の気持ちを主張しないんですよね。でもそれぞれ心の中にいろんな想いを抱えてるわけで、絶え間なくボトリボトリと落ち続ける椿によってその抑圧感というか、少しずつ少しずつ膨張していく感じを煽られるので“そういう舞台”ではあるのでしょうが、感情面ではそれほど揺さぶられるものはなかったです。正直言うと。

そんな中、感情面でいえば一番共感・・・ではないけど理解はできるというか、気持ちとして「わかる」と思えたのが新橋耐子さんが演じる万次郎の母親・お浜でした。お浜は為さぬ子である長男・信助を対外的には実の我が子として育ててきたんだけど、おそらく幼少の頃から信助と万次郎の扱いというか愛情の向け方には相当な差をつけてたんだろうなーと、だから長男なのに信助は一刻も早く江戸へ戻ろうとしてるんだろうなーと、それは明らかなんです。だから途中までは(信助から見たら)キツイ義母なんだろうなと思ってたんだけど、そう思わされていたからこそ、万次郎の不始末のせいで視力を失った信助が“もうひとり”の姿を探すその手を取り、もう一方で立場上名乗りを上げられない糸栄の手を取り結びあわせてやった瞬間の『母としての優しさ』にグッと来たわー。ここはとても感動しました。

この流れで書いちゃうけどさ、下世話な話になるけどほんのちょっとした気の迷いなのか万次郎と歌春のように密かに想いあっていたのかはわかりませんが、亀ちゃんの糸栄と猿弥さんの平兵衛がかつて“そういう関係”だったとか・・・ちょっとアレですよねw、ほんと下世話な話ですけどもw。
あと万次郎を溺愛するお浜さんは奉納の能を舞う予定の息子のために金ぴかのゴージャスな能装束を誂えてくれるんだけど、それを試着して結構ご満悦な一生くんも、父親から謹慎を命じられ代わりに信助に踊ってもらおうってんで試着した衣装をもぞもぞと解いて脱ごうとする一生くんもめんこかったです。
あとあと二人の息子について夫婦喧嘩してる背後で(別の部屋という態)一生くんは先生からお能の稽古をつけられてるんだけど、亀ちゃんの三味線と同様そんなものを拝めるだなんて思ってなかったんで、素敵なものをみせていただいてとても満足でありました。
つーかやっぱヅラ一生くん最高だな!!。