『デスノート』第7話

突如化け物がそこにいたもんだから腰抜かしちゃったのはいいとして、“ノートを触った瞬間化け物が見えた”ことぐらい理解できるだろうになんでその大事なノートをそこいらにほっぽらかしにするんだLさんよー。
ノートに触って記憶取り戻した衝撃があるのはわかるけど、『自分が書いたのではない』と思わせるための時計の仕掛けだろうにデスノートをあんなふうに胸に抱えてLに背を向けごそごそしてたらいくらそこに火口の名がなくとも『火口が死んだ瞬間ノートを持っていたのは月くん』だとLに視認されてしまうじゃないか月さんよー。
火口が死ぬまでノートを手にしていなければならないうえに近くにLがいるだろう。それゆえの時計仕掛けのノートの切れ端に血で名前を書くってなトリックが“活きる”のに、この状況じゃ緊迫感の欠片もないんですが。
つーかここで月が火口の名前を書いてからの40秒はそれこそ実際に40秒かけてカウントダウン演出にしてもいいぐらいの山場なのに、書く→あっさり死ぬ って、ほんとこのドラマの演出ってクソだなと。
火口が顔だけで殺せると想定してるのにノコノコ素顔で火口の前に顔出すLとかありえないでしょう。どれほど強い逆光背負ったとしてもなにかのタイミングで見えてしまう可能性は排除できないよね?。であればLが姿を見せるはずがない。見せるとしたら総一郎たちのように何かを被って顔を隠してのことだろ。“白いLと黒い月がともに逆光背負って登場”というカッコいいシーンが撮りたかったのはわかります。だけどそのために“Lらしくないこと”をさせるのは違うでしょ?。
ついでに言えば幹部が週に何度も定例会議やってるフロアに不審者がいたというのに(いつもは鍵がかかってない部屋にかかっていたってぐらいなら報告しないかもだけど、誰何したら非常階段をダッシュで逃げた人物がいたらさすがに報告がなされるだろう)、その当日にいつものように暗殺会議やるヨツバ幹部の間抜けっぷりもそう。
原作再現シーンにしたって印象に残る場面をただ再現するだけで、そこに整合性を持たせることはもちろんのこと、映像化ならではの説得力を加味しようという意識もないし、『なぜそのシーンが印象に残るのか』という肝心のところがわかってない。原作の魅力をわかってないんだなーってことがこれほどまでに『わかる』映像化もちょっとないと思う。
ってなわけで、いやはやものすごい「計画通り・・・っ!」でしたわ。毎回文句しか言ってないし、もはやドラマとしてみてるつもりもないんだけど、それでもこれを観られただけでわたしはこの番組をここまで見続けたことを後悔しないと思わせられる「計画通り」だった。
ていうかメイクさんVerの窪田くんがアンニュイ素敵すぎた。
そして予告でチラっと聞こえただけの忍成くん魅上の「削除、削除、削除!」に期待が高まります。