『64(ロクヨン)』

画面にピエール瀧村上淳しか映っていない連続ドラマってどうよ・・・?
しかもこれ、国営放送なんだぜ・・・・・・?
この事実だけで感無量。
原作の「面白さ」をどうドラマ化するのか楽しみでもあり不安でもあり・・・で初回を見ましたが、雰囲気・空気感は悪くなかったと思う。
でも今後描かれるであろう県警と警察庁、警備部と刑事部との関係性であり対立を描く前フリとして、『本部長に抗議文を提出する』という行為の意味、その重大性が原作を読んでいない人、たまたまドラマを観た人に伝わらないんじゃないかなという気はする。なんでこの人たちこんな大騒ぎしてんの?ってな感じじゃない?。
それから瀧が喫茶店古舘寛治に情報を流す→瀧的にはこれで抗議文の撤回がなされると思ってた→でも古舘さんは東京に戻ることになったんで(情報は餞別扱い)瀧が渡した餌は餌の意味をなさなくなった→永山絢斗率いる記者軍団が本部長室へ特攻 ってこの駆け引きも下手したら伝わらないんじゃないかと。瀧が古舘さんに伝えたことが記者クラブの抗議行動に本来であればどんな意味を齎すのかってことがわかりにくいかなーと。
それからなによりも過去の事件(ロクヨン)と現在の事件(加害者の匿名報道)の繋がりが初回を見た限りではコレ全然わかんないだろうってこと。まぁまだ明確な繋がりは(劇中では)見えてこなくて当然なんだけど、視聴者の興味を引くためにもうちょっとこう・・・それらしき描写を入れておいたほうが良かったかなーという気はする。
でも原作既読者からすれば余裕で合格点の初回です!!。正直雨宮が段田さんってイメージと違ったんだけど、この犯人に振り回される一連の流れはまさにドラマ化(映像化)ならではの視覚に訴える緊迫感だったし。そしてなにより素晴らしいのは主人公に対する娘からの「お前がブサイクだから私もブサイクに産まれちゃったじゃねーか!」という叫びの説得力ですよw。映画版は佐藤浩市が演じるわけですが、まぁ佐藤浩市も「美形」かっつったらそうでもないと思うけど、でもここまでの説得力は出ないじゃん?w。まぁそれを言う娘が瀧とは似ても似つかないんだけどさ(ドラマでは“むしろ顔立ちは整ってるのに醜いと思ってしまう病気”と説明されたけど、原作では確か美人の母親には似ず父親似で美人とは言えないけどブスでもないって程度だったはず)、でも自分を醜いと思ってる娘が「父親のせい」だと憎しみをぶつけるってのは充分納得できます。
そしてそして地味に新井浩文がいいわー!。希望としては秋川役だったけど(A太-B太兄弟対決は別の機会にお願いしたいと)、回答を待つ記者たちを前にしての「始めまーす」の言い方とか、思いのほか新井浩文の存在が効いててこれは嬉しい誤算。