『手裏剣戦隊ニンニンジャー』忍びの3「強敵、蛾眉あらわる!」

キャリアの違いを差し引いてもザンキさんのアフレコが上手すぎて、相対的にニンニンジャーの下手さ(以前の問題)が改めて浮き彫りにされたというかなんというか・・・。
そして今回の話、何を描きたかったのかよくわからない・・・。
凪が参考書(そんなものあるんだw。ということはこの人ら以外に忍者ってか忍術を使う人(使おうとする人)がいるってことだよね。魔法学校もそうだし、そういう世界観なんだね?w)ありきで、参考書通りに動けばチョロイと、やっくんの言葉を借りればそんな「イージー」な考えからミスを犯し、そのミスを挽回すべくこれまた参考書通りに思考し単独で敵にぶつかり痛い目見たもののたかちゃんならどうするか考えなんとか危険を回避したところを仲間に助けられたってな話に見えたけど、凪って別にミスってないよね?。
そもそものキッカケは天晴とやっくんがラストニンジャ争奪戦をしてる間に凪が先回りして敵の前に立つも逃げられたってなことだったわけで、それ別に凪が悪いんじゃなくね?。凪が悪いというなら敵を追ってた天晴とやっくんも同じように悪いと思うんだけど?。すくなくとも凪は参考書を読んで「敵の先回りをする」という結果を出したわけでその点は評価すべきだと思うのに、「自分で考えて行動できないならここにいる資格はない」と責められるとかわたしには理解できないわ。おそらく凪の行動は『参考書通り』ってことなのでしょうが、わたしには凪はちゃんと「考えて」というか、凪なりに参考書の内容を理解したうえで先回りしたように見えたもん。
そしてそんな凪が辿りついた答えは「こんなときたかちゃんは余計なことを考えない」って、考えて行動できないならここにいる資格はないんじゃねーのかよと。
一番わからないのは、凪はこれで参考書を読むことはなくなったというオチですよ。繰り返すけど凪が敵の先回りできたのは参考書を読んだからだよね?。それは決して悪いことではないってかむしろプラスだろうに、なぜそこで誰も「大切なのは参考書をどう実践に活かすかということで、それが修行だ」って言ってやらないのかと思うんだけど。『誰』ってのは好天さんか疾風さんのことだけど。
それを言うなら前回のやっくんもだと思うんだけど、天晴が頭で考えるのではなく本能で動くタイプの人間であり、恐れを知らないから「すごい」ってのはこの作品の価値観として理解します。でもみんながみんなそうである必要はないと思うんだよね。最終的に5人揃ってラストニンジャを目指すとして、そのアプローチの仕方はそれぞれでいいと思うの。やっくんは魔法と忍術の融合、凪は書物から得た知識を実戦で使えるようにするとかさ、それぞれに合った戦い方でいいと思うんだけどなぁ。そう導いてやるために疾風さんがいるんじゃないのかと。
この流れで思いだしたけど、じーちゃんの「家に帰るまでが遠足です」発言もわからん。なんでそこ「遠足」なの?。普通「修行」じゃない??。
あとちょっと気になったのは雷蔵に怪人が斬り殺されたのに、凪とトラックにかけられた『術』が解けなかったこと。この先きっと操られ系とか中身入れ替え系とかくっつき系とかその手のネタがあるだろうけど、そこでなんの根拠もなしに「術を解くには敵を倒すしかない」ってなことを言われてもじゃあ3話はなぜ解けなかったんだ?ってなことになるんで、ここはちゃんと説明が欲しい(今回は雷蔵が斬った、つまり仲間同士のことだから術が解けなかったんであって、ニンニンジャーが倒したならば解けるとかね。そんなご都合理由でもいいから)。