『ゴーストライター』第5話

リサか由樹どちらかの妄想かと思いきや、舞台上でゴースト宣言まじだったー!
・・・ってのはいいとして、映画の舞台挨拶なんて基本キャストファンが行くもんなわけで、好きな俳優観に行くつもりでいったら原作書いたのゴーストでしたで大騒ぎっていい迷惑すぎんぜ・・・。俳優オタにしてみりゃ原作の作者が誰であるかなんて二の次でしかねーだろ。
とあんなタイミングで勃発したさむらごーち騒動のせいでオリンピックに向けてのモチベ的にミソついちゃったという経験を思いだしつつ。


リサと由樹の共依存のような関係はなかなかによろしかったんでそれをどう壊すのかと期待してたんだけど、あらゆる意味で最悪の壊れ方だった。
リサは由樹が「書きたい」人間だと解ってたんじゃないの?。神様のような存在だった作家・遠野リサが自分が書いた原稿欲しさに土下座なんて惨めな姿を見せたことに失望しながらも作家・遠野リサを見捨てられないという信者的な気持ちがあることに加え、ゴーストなんて立場でもそれでも書きたい、書かずにはいられない、そういう人間だと見抜いたから原稿バラ巻いて出て行った由樹が「戻ってくる」と確信してたんだと思ってたんだけど。
それはかつての自分と同じで、そんな由樹の気持ちを利用し搾取することに耐えきれなくなったから引退を決意するのだと、そう予想してたんだけど(ていうか、リサは文壇の女王であることこそがアイデンティティというか、「作家・遠野リサ」として生きることしかできない人間なんだと思ってたんで(あれ?そういや山本未来のライバル作家って結局あれだけ??)、そもそもリサの中に引退なんて文字はないんだろうと思ってたんだけど)、なんか気が付いたら引退を決意してて、男にこれから二人の関係はどうなるのかと聞いてみたり息子を押し倒す勢いで抱きしめ拒絶され私はどうすればいいの?と聞いてみたりと不安定になってて、まぁ他人の書いたものを自分の作品として発表しそれについて語ることに疲れたってのはあるにしても、小説なんて読まなそうな芸人が放った質問に答えられなかったってのもあるにしても、リサの心情がどこで引退へと向かったのか、それがイマイチわからなかった。
なによりわからないのが由樹にかけた「あなたは書かなくても幸せになれる」という言葉ですよ。前述の通りリサは由樹が書かずにはいられない人間だと見抜いたから「共犯」という関係を結んだんだとわたしは思ってたんですよね。だったら現時点の由樹にとって「書かない人生」なんてありえないことぐらいわかりそうなもんじゃない?。ていうかそれを他の誰でもないリサだけはわかっててほしいんだけど。
書くことしかできなかった、書かずにはいられなかった自分は今書けなくなってゴーストライターなんてものに縋るしかない状態なわけで、さらに母親との関係も息子との関係も最悪だしってんで、由樹ちゃんにはそうなってほしくないと、そんな人生を送って欲しくないからと「別の道」を薦めたってことかもだけど、でも「自分のようにはならないで」と思うような人間は作家にはならない・・・と思うのよね。だから哲司が言ったように「川原由樹が世に出れば遠野リサとの類似に気付く人間が出てきてゴーストだとバレる」ことを恐れて、つまり由樹の才能よりも自分の保身を選んだってことなのだろう。そしてそれは『遠野リサ』らしいと言えると思うの。だったら由樹への共犯関係の終わりを告げる言葉はもっと考えてやるべきだったんじゃないかな。だってそれは作家・遠野リサの最後の作品(文章)なんだから。
一方の由樹はただでさえこんなことを一方的に言われても納得できなくて当然だし、そこへ心の拠り所であった男が他の女と結婚するってな話を聞かされたらまぁ全部ぶっ壊してやる!と思うのもむべなるかなではあるんだけどさ、でもわざわざ遠野リサと同じような格好して髪も切って(ヅラじゃねーよなあ?w)登場されると「あーあ・・・やっちゃった」と呆れ笑いですわ。普通でいいのになぜわざわざセルフ演出するんだと。この自己顕示欲は作家らしいのかもだけど、同情する気にはなれんよなー。
そんでもって一番ガッカリなのは哲司編集長ですよ。リサについてはとにかく映画の完成まで引っ張ってあとは文壇から退いてもらうつもりだったみたいだからいいとして、由樹のフォローもできねーとか無能すぎ!!。なぜそこで由樹を“女”としてモノにしておかないんだ!。作家として世に出すわけにはいかない女の口を何で塞ぐか?。本にしてやるという餌が使えない以上、己の唇で塞ぐに決まってんだろうがああああああ!!。
もう哲司にはガッカリだよ!!。女が二人いれば二人とも抱いてこその哲司だろうが!!。
そしてそして高杉くん。激しく抱きしめてきた中谷さんを振りほどき乱れた髪の間から嫌悪感剥き出しにする高杉くん。こんな目で高杉くんが「最低ですね、お姉さん。豚ですか」と言うドラマか映画まだですか。
大文字八号だっけ?が毎回登場する推理小説を書く少年だったってことは、小説を書き始めたころのお母さんのことは好きだったんだろうね。別に母親が小説家だから拒絶してるわけではないのだろう。
この息子は母親が作った料理があんなこじゃれたものではなくハンバーグとかオムライスとか、そういうお母さん料理だったら食べてたんじゃないかなぁ。所謂『普通の母親』を求めてるのかなーと思うのだけど、でもそれこそ小学生かせいぜい中学生ならいざ知らず、もう高校三年(18歳)なわけでしょう?。そんなに母親が目障りなら家出て自活すればいいんじゃないの?と思ってしまうわよね。高杉くんじゃなかったらぶん殴りたくなってるわ。