『烈車戦隊トッキュウジャー』第45駅「君が去ったホーム」

ライダーならいいけど(むしろ歓迎だけど)戦隊の場合は一人に背負わせるのも一人が背負おうとするのも「それじゃ駄目だ」ってことになると解っていてもあんまり好きではないので、ああまたこの展開か・・・とクライマックスだというのに一向に上がらないテンションがさらに下がってしまったわけですが、単純に展開そのものもそうだけどパスを取り上げられ駅に置き去りにされるという強引な手法でもってトッキュウジャーではなくなったトカッチたちが子供の姿に戻り明くんに止められ泣きじゃくりながらライトの名前を呼ぶのを見て、ほんとうはこんな子供たちが戦ってんだよなぁ・・・とか思ってしまって・・・なぁ。明くんひとりで抱きとめられてしまうほど小っちゃいとかさぁ・・・。
ライトとゼットの関係性はゴーバスを、仲間を無理やり元の世界に送り独りで戦うってのはタイムを、一人だけ特殊な事情背負わせるのはシンケンを、それからみんなの記憶から消えてしまうのは電王(の侑斗)を、と脚本家の過去作がいろいろと想起されるわけですが、それを『特色』として受け止めるのは吝かではないけれど、過去作ほど気持ちが揺さぶられないのはわたしがついに大きなお友達ではなくなりつつあるからなのだろうか。やだー!まだ大きなお友達でいたいー!。
ていうか昴が浜は夏祭りの日で時間が止まってて、ライトたちの服装から判断するに現行時間は冬だろうわけで、つまり夏から冬にかけての少なくとも半年は世間とのタイムラグというかズレみたいなものが発生するんじゃないかなぁ?と。教育実習の先生って昴が浜でのことを忘れてた(記憶のなかでなかったことになってる)んだったっけ?。昴が浜住民とその周辺地域の間にある記憶のズレは再び記憶がよみがえるかなんかでなんとなく辻褄合わせがなされるのでしょうが、でも元々あった記憶が戻るのはいいとしても“経験してないこと”“見てないもの”の記憶を新たに与えることは難しいと思うのよね。何が言いたいかというと、昴が浜の住民は代表がW杯で惨敗したこともアナ雪の異常なブームも、それから総選挙やっちゃったことも知らないんじゃないかなーってことなんですが。そこいらへんのズレがどうなるのか気になるところw。