ミュージカル『スリル・ミー』@天王洲 銀河劇場

なぜわたしはもっと早くこの作品を観ようとしなかったのか。
初めてのスリル・ミーを観た帰り道、あまりの後悔に心の中で壁に頭をガンガン打ちつけるわたしがいました。

以前からずっと観たいなーと思ってはいたものの悉くタイミングが合わず、でも今にして思えばそのタイミングはどうとでもなったわけで(単に他の舞台を選んだというだけ・・・)、なぜあの時1回を捨ててこれを観なかったのか、過去に戻れるならば2011年の9月に戻って他の舞台にかまけてる自分をぶん殴ってでもスリル・ミーを観に行きなさい!!と言ってやりたい。それ10回も観るんでしょ!?10回が9回になろうが大差ないんだから1回捨ててスリルミー行けって!ていうか行ってくださいお願いだから!!と懇願したいです。

実生活では後悔しまくりのわたしですが、舞台やイベントに関してはそんなに後悔しないんですよね。わたしの好きな歌舞伎役者さんがよく「舞台は一期一会」と言いますが、観劇に費やせる時間もお金も限りある中作品選びも一期一会だと思ってて、どんな理由であれ見ることができなかったものはそういう運命だったんだと、そう思うようにしているので。
でも今回はものすっごーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーく後悔している。後悔したって過去ペアを観ることはできないってわかってるけど、わかってるからこそもう頭蓋骨割って中身ぶちまけたいぐらいの後悔が募るのです。違う「私」を甚振るカッキーの「彼」が見たいよおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!。

・・・と思わずにはいられないほどカッキーの「彼」が魅力的すぎた。わたしが今回ついにスリルミーの扉を叩いた理由は松也の参加にありまして、とにかく松也大丈夫かなちゃんと出来るのかな顔はもちろん図体もでっかくて田代万里生くんや松下洸平くんと比べたら明らかに一人だけもっさりしてるけど受け入れてもらえるのかな・・・と不安しかなく、だから相当入れ込んでたというか・・・もう松也の「私」に過剰な感情移入をして観ちゃったんですよね。松也への想いが松也が演じる「私」への想いになっちゃったというか。

構成としては、児童の殺人という凶悪犯罪を犯した当時19歳だった『私』が、それから35年経った今仮釈放のための審理を受けている・・・というもので、54歳になった『私』が当時のことを語るという形。つまり舞台上にいるのは『私』からみた『彼』、『私』の中にいる『彼』なんですよね。きっと『彼』が語ればまた違う物語になるんだろうけど、これはあくまでも『私』が語る『私』と『彼』の物語。

ああ、今わたしが観てるこの神経質で傲慢な俺様カッキーの『彼』は全部松也の『私』を通った『彼』なんだなーって、そこがたまんない。

常に「私」を心身ともに支配しようとする「彼」なんだけど、弱味というかスイッチは“弟”なのね。それをわかってる「私」は彼に要求を呑ませるべく弟を上手いこと使うんですよ。「私」が突然「彼」の部屋を訪ねるシーンがあるんだけど、どうやって入った?と聞く「彼」に「私」は弟に頼んで入れてもらったと答えるのね。泊めてくれると思ったからという「私」を追い返そうとする「彼」だけど、「私」がじゃあ弟に頼むと言うと渋々ながら泊まることを許すの。弟を持ち出せば「彼」が折れるってわかってんだよね。で、「彼」は長椅子に寝ころび「俺は寝るからお前は(寝てる俺を)見てろ」って言うわけですよ。で、「私」はいわれた通り片膝抱えて寝てる「彼」をじーっと見詰めるんだけど、それがとにかく気持ち悪いのね。千秋楽のカテコで松也のことをカッキーは「強い。怖い。そして気持ち悪い」と言ってたけど、ほんっとに気持ち悪いの。なんかじっとりしてて重いんですよ、見るからに。そんな松也の「私」に対しカッキーの「彼」はイライラしてるように見えて、でも繰り返すけどそんな「彼」は「私」のフィルターを通した「彼」なわけで、意識的ではないにせよ「私」は「彼」のそんな苛立ちを楽しんでたんじゃないかなぁ?。

「彼」は「私」に愛情を抱いてるわけじゃないと思うの。それどころか嫌悪してるんじゃないか?とすら思う。でも、「彼」には「私」しかいないんじゃないかな。見るからにニブそうな「私」だけど、自分の理想であり思想を理解できるのは「私」しかいない。その事実に「彼」は苛立ち、その苛立ちが「私」に必要とされていると感じさせるんじゃないかなーとか思ったり。

もうね、この苛立ちや嫌悪感を隠そうとしないところがさいっこうに素敵なの。あらすじを読んで「彼」という役は冷静で理知的で冷酷に「私」を支配する男を想像してたんだけど、カッキーの「彼」は情熱的で感情的でそして暴力的で、思ってたのと真逆といっていいほどだった。「私」に対し常に侮蔑の表情を向け、抱いて欲しいという「私」をそんな気分じゃないと冷たく突き放すも血の契約を持ち出されると面倒くさそうに、そしてものすっごく厭そうに「明日は早いからさっさと済ませよう」と言うんだけど、でもいざ「私」に押し倒されると為すがまま、かと思えばまるでレイプされたかのようにボロボロの顔で起き上がり「殺人すっぞ!」と言いだすとかものすごくチグハグで、このチグハグさ、この不安定さが「私」をこうまで執着させる魅力なんだろうなーって。細かい仕草や言い方を挙げるときりがないぐらい、とにかくカッキーの「彼」が素敵なんですよ。開幕前「チューチュー」言ってたキスシーンも、義理感バリバリのキスをしたあと一旦唇を離してニヤっと笑っておでこを軽くゴツンとぶつけてもう一度、ややうつむいた「私」の唇を掬いあげるようにしてキスするとかなにこの手管!!。

ていうかどんだけ頭良くてハンサムで親金持ちのハイスペック男子だとしても、こんなに歪んだ人間と付き合えるのは「私」ぐらいだろうよとしか思えなかったんだけど、このなんだろう・・・精神的DVみたいな関係性がもうわたしのツボすぎてですね。最初に書いたようにわたしはずっと松也を見守るつもりが松也の「私」目線で観てしまったもんで、もうカッキーの「彼」を殺したいぐらい好きになってしまってですね、なので「私」の目論見に同調しまくり99年ではカタルシスすら感じてしまったし、35年という時間を経て手に入れた、手に入れたいと願った“自由”が半年間会えずにいた「彼」を待ってた公園、云わば物語の始まりの場所で撮った「彼」の写真だったとかもうさあ!!、自由の身になった「私」に「彼」が優しく名前を呼びかけてくれた瞬間、ボロ泣きしてしまいました。自分で自分の感情が恐ろしい・・・。

つーか松也の歌がよかったのよおおおおおおおおおおおおおおお!。歌えることは知ってるけど果たしてそれがこの舞台で通用するか!?カッキーの歌声とちゃんと合うのか!?ってのが一番の心配ポイントだったんだけど、まず音域と曲調が松也の声に合ってたし、カッキーとのデュエット(という表現でいいのでしょうか?)もこう・・・お互いをぶつけ合いながらもでも必要とし合ってる感がうねりのように押し寄せてくる歌声で、ああ・・・松也がこんな舞台に立てるようになったんだなーって思いと相まって感極まりすぎて震えと涙が止まらなかった。

もはやバラエティタレントじゃねーかとしか思えない最近の露出に心折れそうになったけど、やっぱりわたしは舞台の上に立つ尾上松也が好きだ。

そしてそう再確認できたのは、柿澤勇人の「彼」だったからこそだと思う。

カッキーの「彼」と松也の「私」が紡ぐ鬼畜な物語を、この残酷な愛の物語を観ることができて本当に幸せです。
こんなことなら他のペアも観ればよかったよー!。これからはもう、何をおいてもスリル・ミーを観ます!!!。