『家族狩り』第9話

ちょっとまって。息子の遺影がある部屋に向かう廊下に蝋燭ロードが出来てんのはまぁいいとして、あの部屋に吊るされてた大量の白い折鶴が1本の糸ごとに1家族だとしたらあれだけの人数を殺したってこと!?。別にこの夫婦日本全国を同じようなことしながら渡り歩いてるとかそんな設定じゃないですよね?。ずっとこの街で悩み相談&シロアリ駆除やってんですよね?。だとしたら得られる“救ってやるべき家族”の情報って限られるよね?範囲的に。それなのにこれだけ狩ったの?パッと見3ケタはいってそうだったけど?。だとしたらこの辺りどんだけ崩壊家族まみれなんだっての。蝋燭ロードと合わせて演出であることはわかるんだけど、さすがにこれはやりすぎというかなんというか、過剰演出が過ぎるだろうと。
でも今回のメインはそこではないのだ。鬼畜眼鏡油井による自分を刺した妻への最期の言葉ですよ。
自分の妻子が馬見原と楽しそうに遊んでるのを見て『俺も馬見原みたいな親父が欲しかったなって。馬見原みたいな親父だったら俺を守ってくれたのになって。研司が羨ましかった』って、そっちかよ!!。
馬見原みたいな親父になりたかったではなく研司になりたかった(馬見原の息子になりたかった)って!!!。
なるほど、それならば連れ出した研司を邪険に扱い、はずみとは言え突き落としてしまったのも納得です。
これは油井が親になりきれない精神が子供のまんまの男だってな解釈をすべきなのでしょうが、わたしの脳はそれを馬見原に対する歪んだ愛情と判断したわけでですね、つまり油井がほんとうに欲していたのは妻でも息子でも家族でもなく馬見原だったと、この結末にはガッツポーズせざるを得ない。もうさ、油井が平岡に託した証拠品は馬見原への愛の証しだよね。電話口で研司が「おとうさん」って言ってんのを聞いて歪んだ笑み浮かべてたけど、おとうさんって呼ばれて喜んでたのではなくおとうさんっていう研司に嫉妬の炎をメラメラ燃やしてたとか今更ながら震えたわー。
油井が嫉妬する研司は馬見原にとって自殺した本当の息子の代わりのようなものなわけで、馬見原の本当の“息子”にとって馬見原は決していい父親ではなかったわけだよね。そう思うと油井の馬見原への気持ちに因縁めいたものを感じるわ。
馬見原パートは不要だと今も思ってはいるけれど、家族狩り関係なく油井視点での物語が見たい。