スーパー歌舞伎Ⅱ『空ヲ刻ム者 -若き仏師の物語-』@新橋演舞場

うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん・・・これ評価に困るなぁ。
作品として面白いか面白くないかと言えば面白かったです。結構疲れが溜まった状態での観劇だったんで確実に途中で寝るなと思ってたけど一瞬も眠気に襲われることはなかったし。
でも4代目市川猿之助が作る「スーパー歌舞伎 セカンド」としては正直期待外れ。この作品の何が、どこが「セカンド」であるのか、それがわたしには理解できなかったから。

はっきり言っちゃうと、亀ちゃん(と呼ばせて)だったらもっと『新しいスーパー歌舞伎』を作ってくれると思ってたんですよね。先代猿之助さんが「ヤマトタケル」や「オグリ(小栗判官)」、それから「八犬伝」や「三国志」というスーパースターを題材(主人公)にしたのに対し、4代目猿之助は若くて才能はあるけどただの仏師、ただの兄ちゃんを主人公にした。そしてそんな主人公の物語の描き手にイキウメの前川知大を選んだ。もうこれだけでどれほど新しいスーパー歌舞伎を、亀ちゃんのスーパー歌舞伎を見せてくれるのだろうかと楽しみにしてました。

でも蓋開けてみたら良くも悪くも『スーパー歌舞伎』だったよね。ただの兄ちゃんが主人公で「スーパー歌舞伎」になるのか!?という心配は杞憂でした。仏師(仏教)なんてものをテーマにした結果観客置いてけぼりの頭でっかちな作品になってしまうのではないか?なんて心配は全くもって杞憂でした。しっかりスーパー歌舞伎してた。でも新しさは皆無。先代猿之助さんが作り上げたアレコレを使って自分のやりたいことをやっただけで4代目猿之助としての新しい何か、「セカンド」と名乗るだけの何か、そういうものはなかった。まさか出演者全員による「口上」がそれだなんて言わないわよね!?。
だから「セカンド」とか言わなきゃよかったんだよー。いずれ自分なりのスーパー歌舞伎を作りたいし作らなきゃならないけど、今はまだそれだけの力がないから先代の残してくれた財産で新作を作りますとかさ、その程度で止めときゃよかったのにセカンドなんてぶち上げちゃうから・・・・・・。

でもさー、でもさー、そんな亀ちゃんが好きなのよね。蔵さんと歌舞伎の舞台に立ちたかったんだよね。それはスーパー歌舞伎でなければならず、そしてそれは亀ちゃんが蔵さんのために用意した「セカンド」という舞台でなければならなかったんだよね。宙乗りで蔵之介の手をぎゅうううううううっと握る亀ちゃんのクッソ嬉しそうな、もうほんっとに蕩けてるバリ笑顔を見ちゃったらなんかもうそういうアレコレどうでもよくなったってか、お幸せに!!って拍手するしかなかったっつーの!!(笑)。

てかもうこの宙乗りに至る流れがアホでさー(笑)。
猿之助演じる十和と蔵之介演じる一馬は共にダークサイドに落ちるんだけど(十和の場合はダークサイドというよりも夜の校舎窓ガラス壊して回ったのノリだけどw)、十和は元坊主で今は仏師をしてる右近さん演じる九龍の工房で一体の仏像と出会ったことで一足先に復活するのね。そんな十和に九龍は神木一本丸々使って掘りたいものを掘ってみろといい、十和は不動明王を掘り始める。そこへこちらはバリバリダークサイド墜ち中の一馬がやってきて百姓一揆の旗頭にするから仏像掘ってくれよと頼みにくる。断固断る十和。十和を庇おうとした九龍は一馬とともに居た役人に斬られてしまう。期限までに仏像掘れよと命じてその場を去る一馬。九龍の言葉に従い不動明王を完成させる十和。約束の期限の日、再び現れた一馬に十和は「お前のために彫った」仏像を見せる。がそれは大量の木屑。舞い散る木屑はお前そのものだと、お前の心は『空』だと言われ、一馬は目を覚ます。が、一馬を唆してた悪者たちがそう簡単に許してくれるはずもなく、十和と一馬ピーーーーーンチ!!ってところでゴゴゴゴゴォーという音と共に十和が彫った不動明王・・・・・・と『一体化』した師匠・九龍が登場し、謎の仏像パワーで雑魚兵をあっという間に薙ぎ払ってしまいましたー。さらに門之助さん演じるラスボス・長邦の妻であり、旦那の命によって一馬と男女の関係になった春猿さん演じる悪女・時子を木屑が詰まってた箱の中に「封印」する不動明王。なんとかピンチは脱したものの百姓たちによる反乱はもう始まってしまう!。そこで十和は不動明王にお願いするのです。『空飛ばせて』と。よしわかった!っつって空飛ぶためのアイテムを十和にくれる不動明王。十和と一馬はそれを使って『手を繋いで』都へひとっ飛び。

ええええええええええええええええええええええええええええ!??????????(笑)。
オイ不動明王万能すぎんだろwwwww。

しかもなんでこの不動明王がこれほどの謎パワーを持ちそして十和に協力してくれるのか?っつったら九龍の魂が入ってるからなわけで(だよね?)、そんな力で都まで飛んでおきながら(それを願っておきながら)百姓たちに「死んだら終わり(だから戦いなんぞで命を落とすな)」ってそりゃねーだろよとwww。

いやあ・・・このトンデモ感はまさにスーパー歌舞伎だね!!(笑)。

でもそこからの怒涛のバトルは文句なしに面白かった。それまでのこう言っちゃなんだけど辛気臭い話はなんだったんだ!?な怒涛の3幕ラストはテンションあがりまくりでした。

でも、でも繰り返すけどこれは4代目猿之助スーパー歌舞伎ではないんだよね。この怒涛のクライマックスは先代猿之助さんが作り上げたものをなぞってるだけで、だから最初に書いたような感想になっちゃうんだよねぇ。「楽しいんだけどでも・・・!」という。

・・・と、千穐楽のカテコに登場した猿翁さん(と裏方スタッフさんたち)に半泣きで拍手を送りながらそんなことを強く思いました。

先代のスーパー歌舞伎は映像でしか見たことがないわたしにこんなことを言う資格はないかもだけど、単純にスケール感が違いすぎると思うの。あと役者としてのタイプも違う。だから先代が作り上げたフォーマットを使っても先代のようなスペクタクル感は出ないし、そもそもこの話にそういう演出は似合わない。つまり4代目の感覚・感性はやっぱり先代のソレとは違うってことなんだと思う。想像だけど、3幕ラストの大立ち回りでそれまでのアレコレが全部吹っ飛んじゃうのって、4代目の本意ではない・・・んじゃないかなーと思うんだよな。『仏像』をキーアイテムにしたのは文字通り『偶像崇拝』を描きたかったからだろうし、主人公がそれを破壊することで自分のすべきことを見つけ、そして自分なりの新たな偶像を作るという話にはもしかしたら歌舞伎そのものを、今の猿之助そのものを投影してるのかもしれないなーなんて思いかけたんだけど、だけど観ながら感じたこと思ったことがラストのインパクトの前では消えてしまう。消えないまでも霞んでしまうんだよね。十和と一馬がそれまで抱えていたアレコレと、このあっけらかんとした活劇が話しとしてはともかく気持ちとして繋がらないんだもん。だから「面白かった」だけじゃ終わらない。そのあとに『でも』って言葉がくっついてしまう。

あとまぁ前川さんの理屈っぽい脚本は思った以上に歌舞伎という世界とは馴染まなかったなーと。そこいらへんわかってる上で頼んだんだろうし、歌舞伎といってもスーパーだからもうちょい融和できるかなーって期待してたんだけど、技術とか経験とかそういうもの以前に食い合わせが思いのほか悪かったなーと。前川脚本の本質を理解するには(理解させるには)、農民たちの苦しみをちゃんと描く必要があるんだと思う。『現実』があっての十和と一馬の『理想』なのに、その現実が“見えない”から十和と一馬のやってることが坊ちゃんの自分探しにしか見えないんじゃないかな。でもだからといってその現実を見せるための尺はないわけで(ほんとうに農民たちの苦しむ様を描くとしたらそこには猿之助も蔵之介も不在になってしまうわけで)、だから台詞で言うしかない。

ていうかその説明台詞を二番手として担う蔵之介の声が小さい&通らなくてねぇ・・・・・・。花横のとちり席という絶好の席で見たので聞き取れないことはなかったけど、そんな席でも「声ちっさ!」と思ったぐらいだからこれ席によっては何言ってるかわかんない場面もあったのではないかと。多少聞き取れずとも話の筋を追うには問題ないと思うんだけど(そんな難しい話じゃないしね)、でもそもそもが人物の心情やなんかを「見せる」のではなく「聞かせる(言わせる)」脚本であり演出なので、それが聞こえないとなるとどうしたって理解度は落ちるだろう。

多分出せないわけじゃないと思うの。本職の歌舞伎役者ほどは無理でも福士くんぐらいには出せると思う。でも前川脚本を理解しているがゆえに声を張ることよりも伝えることを選んだ結果、こういう一馬像になっちゃったのかなーと。なっちゃったって言い方はアレだけど。

でも蔵之介カッコいいんですよ。白塗り超雑だったけどw(ポスターは素敵だったから似合わない顔ではないはずなのにもったいない!)、殺陣棒立ちだったけどw、それでも蔵之介はカッコよかった。だって亀ちゃん自分は衣装替えほとんどないのに(2着プラス羽織を変えたぐらいじゃなかった?)蔵之介はお前何回着替えんだよ!?ってぐらい綺麗なお召し物を何着も着せてもらってて(この服の色で心情を表していたそうですが)(わたし全然わかんなかったけど)、とにかく自分が惚れこんでる佐々木蔵之介がいかにイイ男であるか、それを見せたかったんだねーってことでわたしはいいやw(ていうかそういうことならいっそ猿之助さんは男のフリをしていた女、という設定でもよかったのではないかと思うのだけど、それだとガチすぎるかw)(てか構図としては笑也さんと春猿さんが蔵之介を取り合うというか、笑也さんと蔵之介は魂で結びついていて、春猿さんと蔵之介は肉体で繋がってるってな関係なんだけど、そこに猿之助さんも女として絡んで欲しかったなーとw)。

ガチすぎると言えばですね!猿之助さんと福士くん演じる伊吹との絡み(笑)もすごかったわぁ。
伊吹は十和の弟弟子で、ちょっと頭緩いのかなぁ?どもり癖のある少年なのね。伊吹はとにかく十和の才能を愛してて、それを守るためなら仏を彫るための「腕」を差し出すことをも厭わないほど。で、実際十和がしたことの落とし前をつけるべく自ら申し出て腕を斬られてしまうのです。その後、浅野さん演じる鳴子のおばばと共に村から逃げた十和を追って都を目指すんだけど、その道中斬られた傷が悪化し、ようやっと十和に会えたと思ったらその晩命を落としてしまう・・・というなかなか美味しい役どころ。

で、毒が回った身体でハァハァしながら十和さんに会えた喜びを、今でも仏像を彫ってるんですよね?と必死に話そうとするんだけど、そんな伊吹を抱いてやりながら十和はゆっくりやさしく、そして執拗に乱れた髪を整えてやるのです。当然わたしは双眼鏡でガン見したわけですが、もおおおおおおおおおおおおおおおおおおうほんっとに優しいの!!手つきが!!。その手から伊吹に、いや福士くんに対する愛情がダダ漏れなんですよ!!!。つーかここの福士くんがまた良くってだな!十和様に必死で想いを伝えながら女優泣きすんのよ!!。両の目からまさに「はらはら」という表現がピッタリの涙をこぼす福士くん。そんな福士くんを抱きながら「黙って」「髪を撫でる」猿之助さん・・・って、まさかスーパー歌舞伎でそういう意味での眼福シーンを拝めるとは思ってもみませんでしたッ!!!。

仕草や動きでもってこのナイーヴさを「そういうもの」として見せることは出来てもこうまでストレートに表現するのは歌舞伎役者では難しい(そういう演出にはならない)と思うわけで、伊吹という役に福士くんを起用したのは「当たり」だった。

狂言回しという立場の浅野さんはまさかの女型ではあったものの、いい意味で予想通りのハマリ具合。それだけに物語には直接絡まないどころか不要・・・と言ってしまってもいいような存在だったのが勿体ない。狂言回しであってももっとこの鳴子という役を話の中に存在させることはできなかったかなーと。大道具さん(に扮した黒子さん)と「浅野さん」として絡んだりもするからこの扱いは「あえて」のことでしょうが、純粋にもっとガッツリ話に絡む浅野さんが見たかったなー。

澤瀉屋一門は皆さまそれぞれ見応えあって良かった&ホッとしました。ラスボス門之介さんとか、ドロンジョ様のような春猿さんとか、笑也さんの盗賊の女頭領なんてあまりにもカッコよすぎてほとんど宝塚の男役のようだったし、後半しか出番のない右近さんは最終的に不動明王になっても(笑っちゃうけど)納得の存在感だったし、あとあと蔵之介をイビるお公家チームも良かったー!(蔵之介の魅力が最も出てたのがここだったと言っても過言じゃないです)これだけの仲間がいる4代目は恵まれてるよなーと改めて思う次第です。