『八重の桜』第39回「私たちの子ども」

え?八重の描き方ってこれでいいの?。ハンサムの欠片もないけどこれでいいの??。
いくらキリスト教と襄の存在によって考え方が変わったんだとしても、鉄砲を持って戦った会津の人間としての信念とか魂とか、そういうものは八重の中にあり続けてるんじゃないの?。
会津だけじゃない、薩摩にだって戦争によって傷つけられた人がいると。それを八重が理解しようとすること、理解したうえで寄り添おうとすることはいいと思うけど、それと八重の誇りは別の話だと思うんだよね。争いは何も生まないとしても、会津の戦士として戦ったことを詫びたりするのって違うとわたしは思うんだけど。ていうかあんたそれ「私の妻は鉄砲を撃つおなごです」と、「八重さんの夫になれたことが私の誇りです」と言ってくれた尚之助さんの前で言えるか!?と。
まぁ八重の土下座は会津の人間が薩摩の人間に対して、ということではなくあくまでも八重個人が自分が殺した男の娘に対して、というではあったけど、思いがけない事実を突き付けられ動揺しながらもここで(生徒たちの眼前で)すかさず「それは私だ」と認め潔く土下座できる=ハンサムってことじゃないよねえ。
今回はこれさすがに面白くない以前の話ってか、こういう言い方したくないけど「どうでもいい」って話でしかなかった。
あ!うそ!どうでもよくない!!。
会津から出てきた娘っこをオルガン+振り向きざまの笑顔で一発ノックアウトする凄腕きっくん横井時雄っってのがあったんだ!!。
佐久は娘(八重)のために入信してくれたけど、みねはかんっぜんに時雄さんに近づくための入信よねこれ(笑)。