東野 圭吾『禁断の魔術 ガリレオ8』

禁断の魔術―ガリレオ〈8〉

禁断の魔術―ガリレオ〈8〉

私がそういう・・・穿った目線で読んでいるからなのかもしれませんが、『福山雅治の湯川』に「こうさせたい」「こう言わせたい」「こういう顔をさせたい」ありきで描かれているようにしか思えなくて、もうこれ私が好きだった湯川先生ではないよな、完全に。映像化することでその後の作品がその役者で読めてしまうってことはよくも悪くもあるわけですが、これはそれらとは全然違う。映像のイメージが小説に投影されているなんてレベルではなく小説が映像にすり寄りすぎてると思う。福山雅治に演じさせるために小説の湯川を動かしてるようにしか私には読めないんですよね。特に最後の1編なんて本ぶん投げそうになったし。
決してこのシリーズは嫌いじゃない、いやむしろ好きなので、憤ってしまいます。


ところで、草薙さんってば自腹で高級クラブに通っているの・・・・・・?。