密葬だというのに500人もの人が集まり、天使をかたどった白い紙吹雪が舞い散り拍子木が鳴る中「中村屋!」と声をかけられ出棺する勘三郎さんの葬儀の様子、こういう表現は相応しくないかもしれませんが、派手で恰好よかったなぁ。そういやコクーン見ると鞄の中に紙吹雪(の紙)がいっぱい入っててゴミ箱の上で鞄ひっくり返して掃除すんのめんどくさかったなーなんて思ったり。
勘三郎さんが亡くなってしまったというニュースを目にした日からなんどか思うところを書こうとしたのですが、でもいざキーボードに手を置いても一向に言葉が浮かんでこなくて、そのたびに中村勘三郎という歌舞伎役者の存在の大きさを、失ってしまったことの重さを感じさせられています。
わたし自分が勘三郎好きだとは思ってなかったんですよね。むしろ「中村屋はそうでもないかなー」とかカッコつけて言ってたぐらい(それがカッコいいと思ってる時点で何も分かってない素人丸出しなんですが)で、だからこんなにも喪失感・・・・・・なのかなぁ、もう見られないんだと思うとなんていうか・・・力抜けちゃう感じがするというか、頭ボーっとしちゃう自分に正直驚いています。
でもこれまでどれぐらい(勘九郎からの)勘三郎を見たんだろうなーって思い返してみると思いのほか多くて、ていうかわたしが最も多く見た歌舞伎役者はぶっちぎりで中村勘三郎で、まぁその理由はコクーン歌舞伎と納涼歌舞伎をほぼ欠かさず見てるからと明白なんですが。
そうなんだよね。今わたしが曲がりなりにも歌舞伎好きの端くれでいられるのはコクーン歌舞伎や納涼歌舞伎で肩肘はらずに楽しめる、わたしにも理解できるように歌舞伎の面白さを見せてくれたからなのだと思います。今どんな作品でもある程度は理解出来自分なりの楽しみ方をそれなりに確立できているのは勘三郎さんが「歌舞伎って面白い」という気持ちをわたしに植え付けてくれたからなのだと思います。
つまりわたしはなんだかんだ言っても中村勘三郎という歌舞伎役者が好きなんだ。
今思うのはどうしてもっともっと見ておかなかったのだろうかという事。この先もたくさん新しい歌舞伎を見せてくれると思ってたし、見るチャンスはいくらでもあると思ってた。身体の調子を悪くして舞台をお休みすると発表された時も、癌が見つかり手術することになると発表された時も、肺炎を起こして呼吸器つけたと聞いた時も、わたしは一度も復帰を疑ったことはなかった。なんだかんだ言っても中村勘三郎新歌舞伎座に立つ。当然のごとくそう思ってた。
それなのにもう二度と中村勘三郎を見ることができないというその現実を思うと、もっと見る機会はあったのに、また次見ればいいやと思った過去のあの時この時が自分の判断ながら許せない。こんな後悔したくなかった。


南座と自宅を何度も往復してることや、口上の様子を見聞きする度に勘九郎七之助は兄弟でよかったなと思います。
今もだけどこの先は本当に辛いだろうけどキツイだろうけど、二人なら乗り越えられる部分ってきっとあるだろうから。


あー。悲しいね。