SNSやブログ等で“イマドキ感”を、第
三者が関係者から聞いた話(口述形式)で描くという定番スタイルを作中で発表された「記事」の形でまとめることでこれまでとの違いを出そうと思ったのかもしれませんが、どちらも盛大に滑ったなぁ・・・・・・。それらに事件を楽しむ傍観者の悪意というか醜さというか、そういうものが込められているのはわかるんだけど、でもそんなものは読んでればわかるというよりも今更すぎで、だからもう一段階上の何かがそこにあるのかと思いきや犯人の言動の補足でしかなくって、せめてそこ
からしか読み取れないものがあればまだしもそういうわけですらなくって、さすがにこれは時間の無駄だったと言いたくなる。