舞台『タンブリング Vol.3 東京凱旋』@赤坂ACTシアター

なんとか大千秋楽を迎えスタオべの中公演が終了してよかった。ほんとうによかった。
わたしはドラマからこの作品がとても好きで、まぁ舞台ははっきり言ってクソ中のクソなんだけどぶーぶー文句いいながらもなんだかんだで全部見てて、なぜそんなに見るのか?っつったらやっぱりライバル校のガチ演技とイケメン俳優たちがレベルはどうあれ真剣に新体操をする姿が見たいからなわけで、でもVol.1の開始当初は毎回ハラハラしながら見守ったもんですが観た回数2桁になってくると慣れが出てくるというかそういう気持ちも若干麻痺してたみたいで、それを思い知らされたという意味で木戸くんの大怪我はわたしにとっても大きな出来事でした。ああ・・・わたしは今までそれほどまでに危険なものを見ていたんだなぁと。
そんな気持ちで迎えた凱旋でしたが、素晴らしかったです。今回のタンブリングは素晴らしかったと声を大にして言える。3回目にしてようやくマトモな『舞台』になった。
相変わらずドアの開閉音とか効果音の使い方がセンスないし無駄に着替えさせるから暗転多いし舞台を横切らせるだけの平面な動きしかないし、心情をダンスで表すのもこの舞台に相応しいとは思えない(ダンスの種類あってねーし)から演出は相変わらず・・・・・・だし、脚本もエピソードをつなぎ合わせただけのあらすじレベルではあったけど、トモ兄貴と馬場さんとヒデ様を中心に“出来る”人たちがこれまでよりも多かったおかげで各役が単なる記号ではなくちゃんと肉付けされた人間として舞台上に存在してて、それに木戸くんの怪我というまんま舞台の中のエピソードの一つのような要素が加わったもんだからセリフの一つ一つに、練習風景に、妙なリアリティが増してたんだよね。舞台上でやってることは凱旋以前の公演と変わらないのかもだけど、演じる側も観る側も確実に何かが違ってた。
ていうかこれまでの2作は最後の新体操演技が最大にして唯一の見せ場になってて、言ってしまえば素人キャストのタンブリング発表会状態だったのね。それはまぁこういう作品だから当然っちゃ当然なわけで、それを否定するつもりじゃないんだけど、今回のVol.3はちゃんとその前にドラマがあって、そのドラマの延長線上に新体操があるという作りだった。延長線上というか、新体操が物語の一つの要素でしかなかった。この「でしかない」ってのはもちろんいい意味で。この差は大きい。
馬場さんとヒデ様がなぜわざわざ「男子新体操部」を作ったのか?というキッカケ部分こそ描くことから逃げたものの(馬場さんが水沢の中学時代の同級生で仲良しだったという設定なので水沢の影響があるんだろうなーと脳内補完しましたが)(ヒデ様の場合は自分大好きナルシストキャラなので 新体操=美 とでも思ったのだろうとこれまた脳内補完w)、団体に出たいという夢・・・というかここまできたらもう目標だよね、それを叶えたいと思う気持ちは理解できるし、団体に出場し演技するというクライマックスに至る過程で起きるモロモロも、仲間集め→盛り上がる→問題発生で分裂→それぞれ悩む→やっぱり新体操やりたい→再団結 というテンプレ展開に違いはないのに基本部活にだけ集中できる高校生ではなく大学生にしたことで、将来のことや親(家庭)のことを言い方悪いけど「障害」として無理なく物語の中に組み込めてて共感しやすい。
そうなんだよね。これまでの舞台でそういう意味での「共感」はできなかった。毎度ボロ泣きさせられてはいるんだけど、それは「新体操をするキャストの姿」に、であって、舞台上で描かれる“物語”や登場人物の“心情”なんかに心打たれてってワケではなかったの。
で、今回も漏れなく大ボロ泣きしたわけですがw、わたしのボロ泣きポイントはどうしようもない家庭の事情で自分には夢も希望もなんにもないと、それを持つことすらもう許されないんだと缶ビールを煽るやさぐれ馬場さんがヒデ様と兄貴にそれぞれの言葉で思いを伝えられどうすりゃいいんだよ…と自嘲する場面と、馬場さん「ビビってんじゃねーのぉ?」兄貴「ビビってねーよ!」と、あとやっぱり鍵本くん、そして木戸くんの「ざまーみろ!!」でした。
どれもこれもその『関係性』に泣かされたんだよね。兄貴水沢と馬場さんの木下ってのは中学時代の同級生とはいえ恐らくそれ以降は連絡を取り合ってたわけではなかったと思うわけで、だから新体操部の「仲間」として過ごした時間は実はそれほどではないはず。でも長さじゃないんだよね。長さじゃないんだと思える。団体に出たいという夢の実現に向かって過ごした時間に込められた想いの強さが、魂の濃さが、伝わってくるわけ。だから「飛べることよりもまず飛ぼうとすることが大切」なんて言葉がストレートに突き刺さるわけですよ。だって言ってる彼らが本気なんだもん。
関係性と言えばですね、東京公演では木戸くん演じる日吉の馬場さん演じる木下部長に対するまっすぐな想いがほんっとに輝いてて、その分二人で新体操部を立ち上げたというヒデ様演じる月岡と馬場さんとの関係性がやや・・・・・・甘いってか描ききれてないように思ったのね。といってもこれは凱旋を見たからであって東京公演時はそうは思わなかったんだけど。
で、なぜ凱旋公演を見てそう思ったか?というと、木戸くんから鍵本くんに変わったことで日吉→木下がやや薄まったことで馬場さんとヒデ様の同期設定がグッと全面に出たからなんだよね。どっちがいいってんじゃなく、どっちにもどっちの良さがある。
木戸くん日吉は木下先輩ラブすぎるから立場的には先輩寄りに見えたのね。具体的に言うと同学年のルイルイ&トシコンビとの間にドラマ版で不良組と生え抜き組の間にあったちょっとした溝のようなものを感じたの。でも鍵本くんの日吉はむしろ二人の面倒を見てやってるというか、黒髪だった木戸くんに対し鍵本くんは茶髪のオサレヘアというビジュアルの違いもあるかもだけど、結構気があってるように見えた。
だから3つバックできたからって調子のって水沢先輩に生意気言うトシに日吉が食ってかかる場面も、その後水沢先輩を追いかけ部Tを手渡す場面も、なんかちょっと印象が違ったんだよねぇ。「水沢先輩に謝れ!」と「お前言い過ぎだろう!」って同じセリフを言ってても、うーん・・・どう表現すればいいのかなぁ・・・木戸くんはトシの胸倉掴んで真正面からぶつかる感じで鍵本くんはトシの頭掴んで下げさせるみたいな感じ?。
なんかちょっと話逸れたけどw、そんな感じで日吉→木下度が薄まった分ヒデ様と馬場さんのシーンが目立つことになって、それが出たのが部長日記音読プレイ場面での「逃げんなよ!!」という一喝。あ、逃げんなよってのはプレイから逃げるなではなく現実から逃げるなってことですw。念のためw。
東京公演では月岡の『木下とともに過ごした3年半』はわんこのような木戸くん日吉の輝きの影に隠れてたというか、印象としてはまず木下と日吉の先輩後輩愛、次に木下と水沢の想い(夢)を託し託された関係性が強烈で、木下と月岡の「二人で始めた新体操部」=同期関係が設定以上にはさして活かされてないように思えたのね。だからせっかくの夢のために迷いなく全力で頑張ることができる木下に『憧れてた』ってセリフも設定以上にはなってなかった。でも凱旋では二人の時間ってか距離感がしっかりと見えたんで、この場面はむしろ馬場さんの苦しみよりもヒデ様のもどかしさ、俺の言葉で馬場さんを立ち直らせたかったのに後から来たトモ兄貴にいいとこ持ってかれた悔しさ(笑)、ヒデ様の心情の方がグッときたなー。
だから東京公演ではこの人この場面でなに言ってんの・・・?(笑)と思った「俺、就職活動するよ!」発言も素直に泣けたしw。
あーでもヒデ様の場合は木戸くんから鍵本くんに変わったこととは関係なく、ヒデ様自身の進化によるものかも。なんか感想ポチポチしてたらそう思えてきた^^。
そうそう。実はわたしは東京公演を見て自分の一言で後輩の新体操人生を奪ってしまった水沢が、自分にはもう新体操をやる資格がないと思い込むならばわかるけどイップスじゃないけど恐怖心という心理的ストッパーが働きどうしても3つバック(2回目のバク転)が出来ないってのが頭では理解できても気持ち的にはちょっとよく分からなかったんですよね。でも大阪公演の様子を見聞きしたらそら怖くなって当然だよなと。何もなくたってそんな仲間の姿を間近で見ちゃったら怖くなるだろうに、その上自分があんなこと言わなければ・・・という思いが加わったら飛べなくなっても不思議じゃないよ。
それはキャスト自身も同様だよね。危険があることは百も承知だろうし気を付けてもいるだろうけど、それでもそういうことになってしまった。思ってるのと実際に見るんじゃ全然違うだろうし、自分だってそういうことになってしまうかもしれない。これは結構な恐怖だと思う。だけど彼らは舞台に立たなくちゃならない。部活動ならば逃げることが出来るかもしれないけど、彼らに逃げ道はない・・・よね。だって仕事なんだから。そのプレッシャーは計り知れないものがあったと思う。千秋楽の挨拶でトモ兄貴が「邑弥のことがあって、毎公演何事もなく無事に終われることがいかに奇跡的なことであるか思い知らされたし、だから凱旋公演はとにかく何事もなく終われるようにってことだけを心掛けていた」と言ってたぐらいだもん。難易度を下げた上に前楽・千秋楽あたりはもうボロボロなキャストもいて全員完璧にやれたとは言えないけれど、彼らの全部ひっくるめた『頑張り』には尊さすら感じました。最後に「いい舞台だった」と素直に思えるものを観ることが出来てよかった。いっぱいおかねつかった甲斐があったよ(笑)。
(・・・・・・と千秋楽時点では例の件を知らなかったのでそう言っておく^^)


千秋楽カテコの挨拶で座長・トモ兄貴はまず木戸くんの代わりに日吉を演じた鍵本くんに対し拍手を送ってやってくれと言いました。「輝がいなかったらこの凱旋公演は出来なかった」と。
確かにそうだよねぇ。セリフと動き入れるだけならともかく日吉役には新体操をやれるという必須条件が必要な以上、候補はかなり絞られる。そんな中鍵本くんが引き受けてくれただけでなくここまでしっかりと「鍵本くんの日吉」を作り見せてくれたってのはまさに奇跡以外のナニモノでもないとわたしは思う。
てかこの尋常じゃない状態で火事場の馬鹿力的なものが発動した部分はあるのかもだけど、鍵本くんの「底力」を目の当たりにしたって感じ。もうこれ以上手を広げる余裕はさすがにないんでこれまでは特にチェックしたりしてなかったんだけど、これからは鍵本くんも現場活動時のチェックリストに含めるよ!。行こうか迷った時に「鍵本輝」って名前があったら行くことにするよ!。
だってだって「お疲れさまでした、ありがとう」って言ったら「いやいや、ありがとうございます」って返してくれる鍵本くん超いい人なんだもん!!!(笑)。
新体操の演技を終え制服に着替えたところで最後にもう一度円陣を組みモッチャモッチャするんだけど、千秋楽で馬場さんが鍵本くんをギューーーーーーーっと抱きしめ頭ポンポンしてあげてんのには心底漲った。みんなみんなキラッキラだったけど、ここは後光すら射してた。いやまじで。
鍵本くんが一番大変だったのはもちろんだけど、対日吉の芝居が多い馬場さんも結構大変だったんじゃないかと思うんだよね。東京公演では前半はもう完全にこの二人の独壇場だったといっても過言じゃないし(主役の水沢さんは今回シリアス全開だからね)、チラチラ見た感じでは大阪でもそれは同様だったように思うの。そう考えると『木戸役の交代』ってのは舞台の出来(印象)そのものを左右するぐらいの一大事と言える。で、鍵本くんに代わった日吉は木戸くんの日吉とは前述の通り明らかに違ってた。でもこれはこれでアリだと、これもまたいいよね!って言えるようなものを作ってみせたってのは手放しで称賛に値するよ。
で、それは木戸を受け止める馬場さんの力、だとわたしは思う。こういうピンチの時に馬場さんのおおらかで繊細でしなやかな演技ってか存在感はほんっとーーーーーに頼りになる。伊達に胴回り立派じゃない!!(凱旋当初あれ?痩せた・・・?と思ったんだけど、最終的に「気のせい^^」ってところに落ち着きましたw)。



木戸くんの怪我がなかったとしても、ドラマで“新体操”を中心として引っ張り、そして強烈な印象を残した「水沢拓」の物語をやった以上もうタンブリングという作品の『次』はないだろうけど(ていうか、新体操しかりシンクロしかり、この手の「本番」を最大の見せ場にする作品はそこで前回を超える“難易度”を作る側と見る側双方が求めてしまうものなわけで、だから本来何度も繰り返し作るようなものではないと思う)、ドラマから始まったこの作品の集大成がこれだけ素敵な舞台で大満足です。ほんと(特に舞台に・・・)それなりの金と時間を費やした自覚があるんだけど(笑)、なんか報われた気分(笑)。