『平清盛』第30回「平家納経」

高松放送局が制作した番組も含めて、ARATA改め井浦新が崇徳帝を演じることに賭けた“想い”は伝わってきました。このあらゆる意味での難役を演じきった井浦新は素晴らしく、そして凄まじかったと思います。
でもそのこととこの怨霊化は別。
きっとね、きっといろいろあったんだろうと思うんだよ。都時代は言わずもがなだし讃岐に流されてからもいろいろと思うところがあっただろうよ。それを描かずして書き上げた写経をビリビリにしてつき返されたところへ息子が死んだ知らせが齎され怨霊スイッチオン!ってさー、いくらなんでも乱暴じゃないかと思うんだけど。しかも写経ビリビリにしたのは弟・後白河の“意思”ではなく抱っこしてた赤ちゃんの手があたっちゃったからじゃん。これもしあたってなかったら破くことなくそのまんまお返ししただろ。そしたら崇徳帝のダメージここまでじゃなかっただろ。しかもビリビリ写経にショック受けてるところに息子死亡の知らせを持ってこられるってほんとにもう・・・どこまで・・・・・・。どっちかが違ってれば、写経がビリビリじゃなかったならば、息子死亡の知らせが1週間早いか遅いかしてれば、怨霊にはならなかったかもしれないよね。なのに結果はこれですよ。なんでこの人はこうまでタイミングが悪いってか何もかもが上手くいかないのかと・・・・・・・。まぁそれは今に始まったことじゃないってか、少なくともこのドラマに於ける「崇徳帝」という人物の描き方としては最初から一貫してはいるんだけどさ、だけどこの怨霊化は作劇としてあまりにも唐突すぎてなぁ。
画的には“なんだこれ(笑)”て感じで面白かったけどね。だってだるまさんが転んだ的な感じで画面切り替わるごとにどんどんとバケモノになってんだもんw。
ていうか唐突っつったら西行ですよ。あいつイケメン面下げて崇徳帝の怨霊見かけちゃったんですけどーなんつって清盛に教えにきてたけど、清盛んとこ来るんじゃなくて崇徳帝のとこ様子見に行ってやれよと。自分も裏切った自覚があるからビビったんだよなコイツ(笑)・・・って思ってたらちゃっかり船にまで乗ってて、おめー何してんだよ!?と劇中で突っ込まれた直後嵐に襲われたもんだから、なるほど!吹きすさぶ雨風の中船の舳先に立ち崇徳帝の怒りを静めるべく一心不乱に念仏唱えさせるためにこの船に乗せたのかと思いきや、またもや崇徳帝の祟りキタコレ!って言うだけって、マジでお前なんのために存在してんだよ!!ってなー(笑)。ほんっと顔だけの男だわ(笑)。清盛に「鱸丸」と呼ばれ一瞬で漁師の顔に戻り船を制御すべく動いた盛国を見習え!っての(盛国は基盛が死んだ時(これもまたものっそい唐突だった・・・)片目から一滴の涙をポロっと零したのもよかったわー!)。
で、結局のところこの作品内では崇徳帝の怨念は晴れた・・・ということなんですか?。
一応村人たちに「上皇さん」と呼ばれ親しまれてる・・・・・・ところまではいかずともそれなりにいい関係を築けてたことは描かれていたので、これまでも聞いていたのであろう日の光の中聞こえてきた子供達の声(唄)によって我を取り戻し、静かにその“何一つままならない”不遇な生涯を閉じられました・・・ってのはまぁ悪くないとは思ったんだけど、あれだけ凄まじい呪詛を撒き散らし怨霊と化しておきながら元に戻る理由としては弱いよなーと。そのためにも村人、特に子供達と触れ合う崇徳帝の姿を1度でいいから入れておくべきだったと思う。
つーかその孤独で哀れで気の毒な崇徳帝の死に対し平家サイドで描かれたのが兎丸のラブコメってなんだよと。なんなのあれ。


平家納経は素敵でした。これはいいNHK


・・・とまぁ気合の入った夏のホラー回でございましたが、怨念を受けたせいかどうかはわかりませんが^^そんな中でもせっかくニートを脱せたと思ったのに甥っ子巻き込んでの悪巧みが速攻バレてニートに逆戻りどころか流罪になってしまって棟梁にバリ爽やかな笑顔で「達者でな!」と送りだされる時忠たんは今回も抜群の安定感。ここまでいくとちょっとした職人芸です。