『初代 市川猿翁 三代目 市川段四郎 五十回忌追善 六月大歌舞伎』@新橋演舞場


(亀オタの母親と初歌舞伎予定の妹のために)本気の本気で頑張ったチケット争奪戦を経てようやく昼の部を観劇!
・・・・・・・・とウキウキしてたのに、いざ会場に着いたら高校生だらけで驚いた。恐らく芸術鑑賞会的な行事なのでしょうが、なにもこんな激戦公演に席用意してやらんでも・・・・・・と思った。だってわたしの席は一等A席後方センターブロックだったのですが、二階三階の両袖が全員高校生でどうしたって目に入ってしまうんですよね。でもまぁそれはいいですよ。別に客見に行ってるわけじゃないんだから。だけどね、高校生たち揃いも揃ってもう爆睡してんのね。手すりに突っ伏してたり、完全に頭を後ろにガックリ反らして口ぱっかーん開けてたり居眠りレベルじゃねーの。まじガン寝。それが思いっきり目に入っちゃうわけです。それどころか休憩時間になると二階前列のやつが手すりに両足乗せてたり(係の人が即注意しにいったけど)、階段(通路)に座るわロビーでしゃがんでるわでほんっといい気持ちしなかった。口上なんて拍手すらしないしね。わたしの周囲だけでもチケット取れなくて見られないと嘆いてる人が少なからずいるわけでさ、こいつらのこの席を見たくても見られない人に回してあげたいとワナワナしたわ。
でもさすがに亀治郎さん改め猿之助さんによる「四の切」の宙乗りは全員口と目をまんまるにしながら身を乗り出すようにして見てて(笑)、最終的には拍手喝采だったんで、ま、まぁ?猿之助さん的にはドヤ顔なんだろうなーと思ったけどw。


『小栗栖の長兵衛』
落ち武者として敗走中の明智光秀を討ったとされる小来栖村の長兵衛をモデルにしたという岡本綺堂の作品で、香川照之さん改め市川中車さんがその主役・長兵衛を演じます。
これはもう「演目考えたなー!」という感想に尽きる。この長兵衛は蝮と呼ばれる村の鼻つまみ者なんだけど、香川さんのよくも悪くもまだ歌舞伎のソレとは言えない台詞回しや動きやなんかの立ち振る舞いが長兵衛の異物感として表出してるし、またとにかく役をこなすことだけに集中し周りが見えてない(見ることができない)ところが長兵衛の身勝手さを、そしてそんな中車をとにかく支え守り立てようとする澤瀉屋一門の姿勢がこれまた長兵衛の“厄介者感”として出てるなと思えて、まさにこの特殊な初舞台にして最適の演目だなと。
この作品の肝というか面白いところってのはそれまで酒癖が悪く乱暴なために村の嫌われ者だった長兵衛が明智光秀を討ったとして褒美をつかわされると知った途端村人たちが必殺手の平返しでチヤホヤするってなところだと思うのですが、わたしはこの演目初見なんで実際というかほんとのところはどう演じるのが正解なのかわかりませんが中車の長兵衛は愛嬌があって、そしてやっぱりどこか品・・・・・・とは違うんだけど、うーむどう表現すればいいかなぁ・・・暴れん坊なんだけどどこか「ボン」っぽいというか、そこまで腕力に物を言わせる頭空っぽな感じはしないんですよ。右近さん演じる馬士の弥太八に馬泥棒の疑いをかけられると「俺が(馬を)盗んだかどうか馬に聞いてみれば分かる。(馬に向かって)俺が盗んだのでなければ「ヒン」と啼け。俺が盗んだのならば「モウ」と啼け」なんて言うんだけど、そこにインテリジェンスすら感じてしまったぐらい。
で、もし長兵衛がもっとどうしようもない徹頭徹尾嫌われ者だったらこの村人の手の平返しがもっとエグく見えてしまうというか、ここまで笑えはしないと思うんで、これは新中車“ならでは”の長兵衛だなと。もう英雄と化してからの長兵衛のちやほやされっぷりが(それぞれの心中はどうかわかんないけど^^)まさに歌舞伎界へようこそ!!ってな空気感でみてて気持ちがいいんだよね。これこそが澤瀉屋の空気感なんだろうなぁ。
澤瀉屋の空気感と言えば、秀吉の家来に「竹槍を持ち出した者はいないか?」と聞かれた村人たちが平伏しながらそろって首を振りつつ「いっちにんもござりませぬっ!」と力強く答えるのがさすがのチームワークすぎて面白かった(笑)。
てかこの長兵衛は主役でありながら結構出番(初めて登場するの)が遅いんだよね。客席の「まだかなまだかな」がいい感じに高まったところで登場するの。これもきっとこの演目を選んだ理由の一つだと思う。で、ついに登場した中車はというと、さすがの存在感ではあった。もちろん観客のお目当てそのものであるわけだからみんなが中車に注目してるんだけどさ、そういうの取っ払ってもきっと観客の目を引くであろうな・・・という存在感はあると思う。でも発声はやっぱりよくも悪くも歌舞伎らしくないんだよねぇ。当然無理して出してるんだろうから結構声つぶれちゃってるし(声そのものはとてもいいと思った。これまで香川照之の“声”に対して特別魅力を感じたことはなかったのだけど、歌舞伎という舞台に立つとその“声の良さ”に惹かれました)。逆に右近あたりはかなり中車寄りにしてるように聞こえたんだけど、それでも一人発声が『違う』と感じたし、それが顕著に出たと思うのが簀巻きの場面で、それまでは露悪的なまでの悪態つきまくりだったってのに侍に対してだけはやたらハキハキしてるのがすごく違和感だったの。いや、セリフはとても明瞭に聞こえるんですよ。ゴザで簀巻きにされて転がされてるってのにちゃんとクリアに聞こえるのはすごいと思ったの。だけどセリフを伝えることを優先したんだろうね、この喋りは長兵衛ではなかったかなーと。
でもまぁそれはさすがに要求が高いというか、まずはこれまでのやりかたとは全く違うであろう歌舞伎の演技法を身につけるのが先で役を掘り下げるのはこれから先だよね。初役で出来なくてもこの先何度も演り続けていく中でどんどんとその役を深めていくのを見るのも歌舞伎の醍醐味だもんね。なので中車のこれからに期待!!ということで。
あ、馬に乗る様は文句なしに素敵でした。素敵すぎていやあんた酔っ払いの長兵衛じゃないっしょ(笑)と思ったけどw。
あと中車にずっと手首握られ、挙句榊を踏みにじられて号泣する巫女春猿さんモエた(笑)。あれだけ嫌がってたくせにいざ長兵衛が光秀を討ったと知るや否や誰よりも態度を180度変えて媚りまくるところが巫女といえども“女”だなって感じでw。
あとあと段治郎改め月乃助さんを久々に拝見しましたが、やはり涼やかで格好いい!!膝の調子が悪く口上の場にも出られないほどだそうなので(それだけではないのでしょうが・・・)歌舞伎の舞台はちょっと厳しいのかもしれませんが、やはり歌舞伎役者としては独特の存在感があると思うので、ぜひとも見続けたいなと改めて思った。
とにもかくにも、俳優としてこれだけの実績を持つ人の『歌舞伎役者としての初舞台』を見るなんてそうそう体験できることじゃないので、九代目中車の初舞台を拝見することができたことだけで満足でした。


『口上』
方々で画像があがってることとは思いますが、わたしもペタリ。

この祝い幕、おいくらぐらいするんでしょうねぇ〜(←下世話w)
幕が上がると下手から(確か)、右近・猿弥・春猿笑三郎・笑也・團子・中車・猿之助段四郎藤十郎彌十郎・門之助・寿猿・竹三郎・秀太郎がズラリ。ド真ん中に亀ちゃんが新猿之助としてそこにいるというその事実だけでもう泣きそうになったわw。
そんな中で記憶に残ってることは・・・・・・・
彌十郎さんが「今日の自分があるのは猿翁兄さんのおかげである」と。そして「中車さん、團子さんとは今回が初めてになりますが、もういくつか思い出ができましたし、團子さんとは楽屋でよく遊んでもらっております」と(笑)。
門之助さんは「浅草や亀治郎の会でもずっと一緒にやってきた非常に優秀でありながらも大の悪戯小僧の亀ちゃんの襲名にワクワク、ドキドキしております」と亀ちゃん呼びw。
「五十年前の猿之助段四郎の襲名時もこうやって列席させていたき、そして今再びこうやって列席させていただけて感慨深い」という寿猿さんにはどよめく客席。
そして秀太郎さんは多分すごくたくさんの思い出と、新猿之助と新中車へのエールを述べてらっしゃったと思うんだけど、いかんせん長くてだな(笑)。
で、團子は例の「猿翁のおじいさまより、ずっと立派な俳優になるのが私の夢でございます」と凛々しく、そしてとても通りのよいお声でキッパリ宣言(笑)。
いやー、團子可愛いな!!(笑)。コソっと隣の席の妹に「福さんと(今)同じ年だぜ?」っつったら妹は一言「萌える!!」とwww。
てか襲名の記者会見やらお練りやらの映像でも明らかだったけど、実際に見ると舞台度胸まじまじすげー!。8歳ともなればある程度は周囲の思惑というか自分と父親を取り巻く状況を多少なりとも感じられるんじゃないかと思うのに、そんなことはどこ吹く風とばかりにのほほんとしてんのねw。中車がこれまで俳優・香川照之として築き上げてきたもの捨てる覚悟で歌舞伎の世界に飛び込んだ理由は、自分のことよりもやっぱり息子を歌舞伎役者にしたいから、というか、息子の中に流れる“血”をこのままにしておくわけにはいかないと思ったからだと想像しますが、そう思うだけの“役者としての華”がすでにこの團子にはあると思う!。襲名の時って、主役(襲名者)はお尻を軸に35度ぐらいの低い体勢をキープしつづけなきゃならないんだけど、中車は多分その姿勢を保ち続けるのはキツイってか無理だったんだろうねぇ・・・頭を床にぺったりつけて完全土下座状態だっただけど、團子はまぁ50度ぐらいではあったけど綺麗に姿勢を保ち続けてたのも好印象!。
中車はとにかく「一生精進」。初日の口上を映像で拝見した時はもう『鬼気迫る』という表現以外見当たらないほどだったけど、さすがに初日よりは落ち着いていたように見受けられるもののそれでもやっぱりものすごい・・・悲壮感漂いまくりで、新猿之助とはまた違う覚悟が伝わってきました。こんなん見ちゃったらもう「頑張れ!」って言うしかないわなw。
そしてそして亀治郎改め猿之助さんはもう・・・・・・一門を率いるという重責を背負う気合と覚悟とそして自信がひしひしと伝わってくるようで、なんかもう、ちょっとした風格すら漂っちゃっててマジ涙目(笑)。
そんでもって藤十郎さんに「それでは猿翁さん、長らくお待ちどうさまでした。どうかお出ましくださいませ」と呼びこまれ、台車に乗って猿翁さんの登場でございますよ!!。「市川猿翁に御座います。いずれも様にはいつまでも変わらぬご贔屓を、隅から隅まで(客席見回して)ずずずいーっと、希いあ〜げたてまつりまする〜」と思ってたよりもずっとずっと大きなお声ではっきりと聞こえてこれまたさらに涙目に。言い終えた後念押しするように上手→下手→上階上手→上階下手と目線を送るんだけど、眼力ぱねえええええええ!!。聞くところによると夜のカテコと合わせて日を重ねるごとにどんどんと調子が良くなっているそうで、舞台に出るのが何よりのリハビリというか、この人は根っからの舞台役者なのだろうなーと、今月のこの熱狂はやはり猿翁さんの存在に支えられるところが大きいのだろうなと思わずにはいられない。きっと今思うように回らない自分の口に、思うように動かない四肢に対して一番もどかしさを覚えているのは猿翁さん本人なのでしょうが、それでも亀ちゃんがこんなにも逞しく凛々しく堂々と猿之助としてこの場に立ち、そして数十年の時を経て息子と孫が自分の跡を継ぐために同じ舞台に立っている。その中心に猿翁さんがいる。こんなにもドラマチックな口上って、ちょっとないと思う。素直に感動しました。
 

『三代猿之助 四十八撰の内 義経千本桜川連法眼館の場』
亀ちゃんの四の切だいすきー!泣き虫なピュアっこ子狐だいすきー!!。
でもなんだろう、以前見たときには感じなかった物悲しさを覚えた。亀治郎さんの源九郎狐はもうちょっとこう・・・自分を押し殺しているというか、親に起こったこと、親で作られた鼓を持つ義経の痛み、そういうものを解ってて、解ってるが故に必死で自分を律しようとしてる感じがしたんだけど、今回はとにかく純粋に親を恋しく思う子狐の健気さと哀れさを感じた。だから親を思い後ろ髪引かれるところがこれまで以上に切なかったし、これまで以上に親への深い愛情を感じることができた気がする。
で、それは猿之助さん個人の違いのみならず、藤十郎さんの義経秀太郎さんの静御前というもう二度と成立しないのではないかと思うほど豪華なお二人がいてこそ、だったんじゃないかなと。ただだまって源九郎狐を見ているだけでも圧倒的なまでの深みを感じるのね。だからこそ子狐は哀しみを全開に出来るし、喜びを爆発させられるんじゃないかなと思った。
とにかくもうこの子狐がヘタレ可愛いんですよ!!。なにかっつーと泣いてグーに握った拳(狐のお手手という態です)で目元をぐいぐいぬぐうのね。それがもう可愛いのなんのって!!。
それにこう言っちゃなんですが、お二人が御歳のせいで、まぁ・・・・・・・・・重厚さ(笑)を醸し出してらっしゃるんで、その分余計に源九郎狐の早替わり(瞬間移動)とか欄干渡りとか海老反り、そして欄間抜けが“映える”んだよね。これぞ『躍動感』。足音を一切立てずに階段を一段一段ぴょんぴょん飛び降りる狐足はすごかったわー。
そして最大の見せ場である宙乗り。これはもう問答無用でテンションあがりまくり!!。隣で妹が「手振っていいの?手振っていいの??」ってうるせーのなんのって(笑)。桜吹雪が舞い散る中、鼓=親を小脇に抱えてもう嬉しくてたまらなくってジタバタしちゃうアホ可愛い(もうもんのすごいドヤ顔www)子狐を見上げながら鼻がツーーーーンとしてどうしようもなかったです。
亀ちゃん(どうしてもまだ亀ちゃん以外に呼べない><)もんのすごいイイ顔してらっしゃったわぁ。
わたしにとって「市川猿之助」という名前は前猿之助さん(現猿翁)そのものなわけで、それをこれから亀ちゃんがどう作り変えていくのか、新しい猿之助を作っていくのか、すっごく楽しみです!!。
まずは来月!初めてのヤマトタケルたーのーしーみーーーー!。