『SAMURAI7』@青山劇場

やっぱガウチキュウゾウかっこいいわ。
そしてアッキーウキョウ様パねえ。マジキチ度さらにアップ(笑)。


これまで初演・再演と舞台経験が浅い俳優をキャスティングしてたのに対し、今回は経験も実力もある馬場さんをもってきたわけだからこれまで描けなかったカツシロウが見られる・・・・・・かと思いきや、再演とほぼ同じ作りでガッカリでした。そして同じ作りゆえにただでさえあまり魅力的には感じられないカツシロウがもはや魅力云々通り越して理解不能なレベルになっちゃってんだけど。
決して馬場さんが悪いんじゃないんだ。馬場さんは与えられたカツシロウ像を必死で演じてると思うの。問題はその『カツシロウ像』なんだよね。加藤雅也さんのカンベエが主演だった初演はともかく再演と今回は主役・カツシロウのキャストありきの企画なわけじゃん。まぁ今回はカツシロウ+キュウゾウキャストありきと言うべきでしょうが、とにかく先にくるのは“役”ではなく“役者”だと思うのね。原作がある以上基本設定を大きく変えることは出来ないってかすべきじゃないんだけど、役者ありきであるのならばそれでも役者によってアプローチの仕方は変えるべきというか、既成のカツシロウに役者を嵌め込むのではなく役者の良さ(魅力)を引き出すカツシロウの“見せ方”をすべきじゃないのかなと思った。
この日はアフタートークがあって馬場さんとアッキーと龍虎が出たんだけど、その中でやたらと「馬場さんのカツシロウは強そうに見える」って話が出たんだよね。馬場さん自身もそれは自覚してるようで、決して弱くも脆くも“見えない”自分がカツシロウのそれらをどう見せたらいいのか苦心してるように見えた。
でも正直この脚本じゃ無理だと思う。見るからに幼くて未熟な感じがする初演の聖や体格こそ立派だけど脳みそ入ってなさそうな再演の翔平くんに対し、馬場さんは幼さもなければ青さもなくバカそうでもなく、涼しげな顔に凛とした佇まいは誰よりも「サムライ」に見えるほどで、それはもう仕方がないことだと思うんだ。でも内面はそうではないわけで、カツシロウの心情、カンベエを先生と呼び憧れ慕う気持ちやキララへの淡い愛情、人を斬れない葛藤、初めて人を斬った瞬間の気持ち、先生に対して芽生えた不信感、そこへ入り込むウキョウの言葉、裏切った自分に死んでいく仲間たちが託した想い・・・それらの『感情』を表現する場を与えることで見た目がどうあれ脆くて弱くて未熟な若者として見せられると思うし、ていうか馬場さんはそれが出来る人じゃん。叫ばせるだけが熱さや必死さの表現方法じゃないだろ。せっかく馬場徹という才能がそこにあるってのにその才能であり魅力を引き出す演出になってないのが勿体無い。勿体無さすぎて腹立ちすら覚えるわ。
例えば古田新太という人は容姿そのものは恵まれてるとは言えないもののいつもいつも超絶カッコよく見えるわけですよ。ダメな男であればとことんダメなんだけどでもカッコイイし、悪い男なら悪い男として、ヒーローならばヒーローとして、とにかくいつも魅力的なのね。それは脚本であり演出がそう見せるために焦点キッチリ合わせてるからだと思うの。だからこそ古田さんは全力でカッコイイ俺(役)を演じられるのだろうとわたしは思うのだけど、つまり今回のカツシロウがそういう風に見えない理由は“馬場徹用のカツシロウ”仕様じゃないってとこにあるんじゃないかなーと。
いや、馬場さん仕様ではあるのよ。具体的に言えば初めて剣を合わせ「気に入った!」とカンベエさんがキュウゾウをナンパ(笑)するシーンでなぜだかそこにカツシロウも乱入するとか、キララに告白するシーンカットとか、野伏せりに特攻するキュウゾウさんのBGMとして歌うたっちゃうとかね、馬場カツシロウに見せ場を与えるべく前2作とは違う演出・脚本になってはいるんですよ。でも馬場仕様の方向性間違ってねーかと。キララへの告白はキララの想いが自分ではなく先生に向いてると改めて思い知らされたことがウキョウの誘いに乗る一因になるんだろうにそこちゃんと描かないから唐突すぎるマジ裏切りにしか見えないし、キュウゾウとカンベエの1対1にカツシロウが乱入するとかもう眉間にシワ寄せて「ハァ?」って言いたくなっちゃうんだけど、そう変更するならばその後のキュウゾウがカンベエさんに「戦いが終わったらもう一度勝負したい」と言うところも責任もって変更すべきだろ。一瞬でありながらも1対1のガチ勝負をしたからこそのこの言葉だろうに、1対1でなかったのにここはそのまんまじゃカンベエさんとの関係性も、それからカツシロウへの最期の言葉もどっちも中途半端になっちゃうじゃん。方向性のみならずなんかもう浅いんだよね、全てにおいて。ペルソナの人がどーとかそういうのいらんねん。ついでに言えば村人トリオのコントコーナーとかほんといらない。こんなもんに尺使うんだったらカツシロウの心情描写に使えっての。
てか野伏せり対策シーンなんかでの村人とサムライたちの交流の様子がやけにアッサリになってるもんだからサムライたちが命を賭けてまでこの村を守ろうと思うその気持ちがどうにもこうにも理解も共感もできないんだよね。それだけでなく、全体を通じて「心」の描写が薄すぎる。だから起承転結のポイントポイントで登場人物たちが何をどう考えてそう動いたのか、ってことがわかんないのよ。あらすじとしてしか分からない。これまでもそれらが描かれていたわけではないものの、ゴロベエさんとキララの間にあるものとかさ、それでもそれなりに感じ取れるものはあったんだけど、今回はとにかく薄い。薄っぺらすぎる。だから初演では周囲があれだけズビズビすすりあげてたゴロベエさんの死も、ヘイさんの死もキクチヨの死でさえもやけに淡々としてるのね。舞台上の熱が客席まで気持ち的に伝わってこない。「サムライ魂」が伝わってこないんだよー!。



・・・・・・キュウゾウの死のみスルーしてることに気付かれましたか??。
だってキュウゾウさんの死に様に関しましてはもうねぇ・・・・・?この二人でこれをやりたい(やらせたい)がための再々演だといっても過言ではないと思うわけで、ねぇ・・・・・・・・?
でももっとこう・・・・・・あざとい演出つけられるんじゃないかと不安だったんだけど、そういう意味では前回の翔平くんに抱かれて死ぬニッシーの方が確実に麗しかったしはるかにときめいたぐらいなんでこれはまぁ・・・それなりにってな感じなんだけど、ていうか↑で散々文句ぶー垂れてますが、カンベエさんの剣を右手の剣で受けカツシロウの剣を左手の剣で抑えるガウチキュウゾウさんにアヒーーーーーーーーーーーーーッ!!!(内心じったんばったん)ってなりますからね(笑)。
そんでもって舞うようにして斬るというよりももう「舞ってるよね!」と言うしかないガウチキュウゾウさんのバックで高らかに歌う馬場さんカツシロウとか何事!?!?!?。全力乙女握りでハァハァしたよね!。これ歌手であるニッシー用の演出だと思ってたんでまさか今回もここでキュウゾウさん特攻があるとは思わず、全くの予想外でまじピギャッた。はっきり言って全く不要なシーンなんだけど(笑)、キュウゾウご臨終場面よりもよっぽどピギャったw。ていうかここのガウチめったくそカッコイイから!!!。くるくるくるくるビタっ!ってなるガウチ死ぬほどカッコイイから!!!。しかもBGMは馬場さんの歌声!!!。ああ、全力で釣られてやるさ!激安女と蔑めばいいわッ!!。


というわけで、ここ見るため(だけ)に頑張って通えそうです!(笑)。