『平清盛』第9回「二人のはみだし者」

ついに登場したしょうたん雅仁さんが崇徳帝とはベクトル違いのこれまたヤバイ人で面白いけど見てて疲れる^^。皇子お披露目パーティがヘビーすぎてめっさ疲れる^^。もうお前らみんな人前でぶっちゃけすぎです^^。
でもその最たる人はやっぱり崇徳帝と雅仁をこの世に産み落とし、その当人(雅仁)を前にして「人を愛しいと思う気持ちが分からない」と言い切り鳥羽上皇を揺さぶりまくる璋子さんなわけで、いやはや、たまちゃんマジ無双すぎる(笑)。言ってることやはらはらと零した涙だけ見れば哀れで愚かな女性に見えるけど、でもそれを“あの状況下で”“なんの計算もなく”やってのけるたまちゃんはやはり恐ろしい女です。こんなの相手に戦おうとしたらそりゃ得子さんもしっぽ9本生やすぐらいしなきゃなぁ。
てか得子さん的には最初はにっくき女の息子が自分の息子の誕生パーティに乱入しただけでなく図星ついてきたもんだからついつい本音をポロリしちゃったのでしょうが(「賢い」と言われる得子さんにはあるまじき醜態だったけど)、そこから先は鳥羽上皇のために(ひいては自分のために)と思っての発言だったろうに、結果的にそれ全部倍返しで食らう鳥羽上皇が気の毒すぎてだなwww。ドMにはタマラン仕打ちすぎるw。
でもさすがにこれは可哀想すぎるからもうやめてあげてー><この地獄のような時間を誰かなんとかしてあげてー><と思ったところで席を立ってくれた藤原摂関家の皆さんのカッコイイことといったら!。今回の出番実質ココだけなのにたったワンシーンでもしっかりと仕事する藤原摂関家さすがすぎるぜ。
たまちゃんも崇徳帝も雅仁も目の奥に暗く深く揺れるものがあるというか、濁ってるわけでもなければ硝子玉のようってわけでもないんだけど、どれだけ覗き込んでも決して光が見えない瞳の持ち主って感じがして、ありがちな表現だけどそれはつまり「狂気」というものなのだろうなぁ・・・と。質は異なれど三者三様の業を抱えてる、というか。
そしてそれを言うならば最も深い業を抱えてるのは鳥羽院なんじゃないかなぁ。たまちゃんのことを“愛しいから傷つけたい、傷つけるとさらに愛おしくなる”と言うけれど、この人の場合傷つけてるのはたまちゃんではなくむしろ自分、たまちゃんを傷つけることによって自分の傷口をぐりぐり抉ってるんじゃないかと思うのよね。まさに真正ドM。そのことを自覚してるのか否かはわかんないけどw。
王家の人々にその「業」を与えたのは清盛も言ってたけどあの物の怪=白河法皇ということなのだろう。そしてその血は清盛自身にも流れてる・・・んだよなぁ。で、それを指摘するのが後の後白河と。ほんっとに面白いわここいらへん。
てか清太に本気でぶち切れした雅仁さんにビビッたんだけどw、でもこう見えて雅仁さんもまだ子供・・・なんですよね?。清盛が構って欲しくて泣いてる子供のように見えるとかなんとか言ってたけど、そういう比喩的なことではなく年齢的にもまだ子供といっていい年齢なんでしょ?あの髪型からして。とするとこの態度はまぁアリなのかなーと。むしろ子供でありながら博打で身包み剥がされてるほうがおかしいんだよね?(笑)。


それにしても崇徳帝は着々と怨霊ロードを突き進みすぎです。今回は本当に(笑)体調が優れないのかと思ったら、御簾の向こうに現れザ・帝ポーズをとった崇徳帝ってば今度はテレパシー!?口には出さずテレパシーで義清に念押し!?!?・・・かと思って焦ったわー(笑)。だってこの崇徳帝ならそれぐらい出来ても不思議じゃないんだもん(笑)。回を追うごとに怖さのグレードが上がってんだけどこれどこまで行くのやら。
てか義清はこれ


帝を救いたい

崇徳帝が求めているのは愛情である

子供に愛情を与えるのは母親の役目

たまちゃん「愛を知りません」

この女やっべえ!俺が愛ってもんを教えてやらなきゃ!←いまここ


ってことなの?。今のところ義清の頭にあるのはあくまでも『崇徳帝のため』ってことなんであって、もしもどちらかを選ばねばならないとしたら迷わず崇徳帝を選ぶんだよね?とは思ってるんだけど、清盛に「まさか待賢門院様にも手を出すつもりなんじゃ!?」と聞かれて「そんな怖いもの知らずじゃない」と笑って答えたあの時はこんな破廉恥行動に出るつもりはなかったってことだよねぇ。でも結局たまちゃんの手を取り頬ずりし、「これが愛しいと思う気持ちです」と言った。いくらなんでも母親だから子供に対する愛情はちゃんとあって、でも今はその気持ちをちょっとどこかに忘れてきちゃってるだけだから“目を覚ましてもらえば”帝に愛情を向けてくれるだろうと思ってたのに、そもそもその愛情すらこの女の中に存在していないと知りそこから開発しなきゃなんないのかよー!と早速実行に移したってことなのか、それとも「人を愛しく思う気持ちがどんなものか分からない」と言いながら泣くたまちゃんをみて本当に「愛しい」と思ってしまったのかどっちなの?。「まさか待賢門院様にも手を出すつもりなんじゃ!?」とアホ清盛に言われちゃうほど手広くやってらっしゃる義清さんなんでw、そう易々と堕ちたりはしないとは思うんだけど、でも相手がたまちゃんだからな・・・・・・。
とすると崇徳帝の気持ちはどうなっちゃうの???と心配になるわけで、・・・ていうか、崇徳帝はとりあえず誰かに愛してもらいたいんだろうから、なにもナチュラルボーンビッチの母親の愛をあてにせずとも義清さんが愛してやればいいのではなかろうか?(笑)。


とまぁ朝廷がアクセル全開☆なのに対し父親になったからか清盛が特にメンタル面の成長著しく、今回なんて盛国が呑むと超めんどくせえってことが発覚したこともあって(笑)清盛が一番“まとも”に見えたぐらいなんだけど、おかげであれだけイラっとさせられてた清盛シーンが心理的休憩時間になっててありがたい(笑)。朝廷パート増やせよー!とは思うけど、でも朝廷パートだけだと胸やけしちゃうってことが今回でよくわかりました(笑)。こういうとこ上手いことバランス取ってるなーと思う。
バランスと言えば毎回恒例の対比描写ですが、清盛の子供の誕生祝いの宴と皇子の誕生祝いの宴はまさに対照的で面白かったわー。平氏は血の繋がりがない弟が心からのお祝いを述べてくれ兄弟の絆を深めてる一方で、王家はその場に来ることを許されない異母兄と宴をぶちこわすもう一人の異母兄と。ついでにその場に源氏が呼ばれなかったことも含めてこれは面白い対比だった。
そして今回一番グッときたのは
清盛と雅仁が
賽の目の出方一つでこまの動きが変わる。遅れをとっていたものでもよき目を出せば勝ち上がることができる」
という双六をしてる一方で、義朝と正清は
「足の掛け方、次に掴む枝の選び方、それを間違えなければ落ちることなく誰よりもてっぺんに登れる」
という木登りをしてたってとこ。
なんかこれ、清盛(平氏)と義朝(源氏)の生き方そのものって感じでこれまでの対比描写の中で一番燃えたわ!。


で、次回は『義清散る』と(笑)。
そもそも皇子の誕生パーティーがあんなことになったのは義清があの場で崇徳帝作の歌を詠んだりしたからだと思うわけで、どういう形で「散る」のか分かんないけどどういう形であれ結局は義清の自業自得・・・ってことになるんだろうなぁとw。面白いなーほんと。こんなに面白くていいのだろうか。