越谷 オサム『いとみち』

いとみち

いとみち

ああもうオサム最高おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!。電車の中で泣きました!鼻水ズズズズーーーーッっと人目憚らず全力かみするぐらい泣いた!!。
話自体は「おかえりなさいませ、ご主人様」がどうしても「おがえりなさいませ、ご主ズん様」になっちゃうド津軽弁がコンプレックスで対人恐怖症気味の高校一年生「いと」が、人見知りを直すべくテレビで見たあこがれの“メイドさん”として青森市内のメイド喫茶でバイトを始め成長する物語で、その中でピンチはあるし燃えるくだりもありはするけどでも至って穏やかなトーンで紡がれているのですが、とにかくこの物語に出てくる人全員が「生きてる」んだよね。だから自然と私も「いとっち」を見守る気持ちになっちゃって、父・耕一大活躍のクライマックスシーンは本気泣きでした。タイトルの意味も分かってみるとまじ泣ける。
『ちっちゃくて黒髪で泣き虫でドジっこでネイティブ方言スピーカーで和楽器奏者』という萌え記号てんこ盛り(笑)の女子高生主人公を描くにしてもそこで“メイド”にまでする必要は特別ないと思うのですが、でもそこで普通の喫茶店ではなくあえてメイド喫茶を舞台にした理由はそこに集う人達は世の中的には“弱い存在である”ことを分かりやすく伝えるためなのかなぁ。代表してメイド喫茶廃人の客“山本さん”の表の顔(普段の生活)が描かれるのですが、きっとみんな普段は多かれ少なかれ生き苦しい思いをしてるのだと思う。でもだからと言ってメイド喫茶に“逃避”してるわけじゃない。彼らはここに救いを求めてきてるわけじゃないと思うし居場所を求めてるわけでもないと思う。明日もまた頑張るための活力とするためにこの店に集ってるんじゃないかなー。だから不健全な匂いは一切ないのね。だから読んでて気持ちがいい。客だけじゃなく店のオーナーも店長もメイド仲間もみんなこれまでいろいろあって、今この瞬間をちゃんと頑張って生きてる人達で、当たり前のことなのにそれがすごくイイんだよね。言ってしまえばこの物語の中でいと以外の人物の成長は描かれないんですよ。いと以外は平常運転のまんま(同じくメイド喫茶廃人の青木さんは成長というか本気見せますが(笑))なんだけど、全員の存在がいとを成長させるために必要で、そしていとの先には可能性がありまくってる。なんかそれだけで胸が熱くなってしまうのです。
越谷オサムは私を裏切らないといい続けてますが、ほんっとにこれはイイ本なのでぜひぜひ読んでもらいたいです!。


ところで青森では本当に「へぱね」という挨拶が交わされているんですね。(←元ネタが分かる人だけニヤニヤしてください(笑))。