京極 夏彦『虚言少年』

虚言少年

虚言少年

昭和の小学校6年生男子目線の物語なのですが、語り口がちょっと前に読んだ年金で生活してる老人のソレと全く同じで、ちょ(笑)いくらなんでもこれはおかしいだろ(笑)と思った瞬間

これは大人になった僕が、過ぎ去りし少年時代を回想している体裁の語りではない――ということを最初にお断りしておく。僕は、現役で子供だ。リアルタイムでリアルなガキである。思いっきり子供なのだが、子供は語彙が貧困だし思考回路も単純で、それでいてあちこち繋がりも悪いから、わかり易く大人語に翻訳されているのだ――と諒解して戴きたい。

とか書かれてて噴いた(笑)。大人語に翻訳てなんだよ(笑)。だとしても『諒解して戴きたい』って翻訳しすぎだろ(笑)。
まぁむりやりクール(笑)な口語体を必死で保ち続けてる池袋でガキがどうのこうのってなシリーズよりはマシだけど(笑)。
というわけで、子供目線、というか子供社会の物語ではありますが、いつもの京極夏彦です(笑)。てか大人になった僕が少年時代を回想してるわけではないと予め断わられてはいますが、これ京極さんの幼少時代がモデルですよね?多分。物事の見方が私が思う京極さんのソレそのものだもん。学校内ではツルんではいないものの学校から出たら超仲良し!ってそのひねくれた関係性が非常に京極さんっぽいもん(笑)。なんとなーく、水木先生と荒俣さんと京極さんを思い浮かべながら読んだのですが、当てはめるならば主人公(語り部)はもちろん京極さんで、誉が荒俣さん、そして京野はむかいりを経由しての(笑)水木先生で。