辻村 深月『オーダーメイド殺人クラブ』

オーダーメイド殺人クラブ

オーダーメイド殺人クラブ

作中で自覚的にこの単語が登場することですし、これは所謂『中二(病)小説』ということになるのでしょうが、なんとなくざっくりとした意味は分かるというか雰囲気はつかめるというかそんな感じではあるものの、実はその『中二病』なるものがどういうものなのかハッキリとは分からなかったりはするんでアレですが、まぁ・・・そんな感じです(笑)。
家庭にも学校にも居場所がなく生き苦しいと考える『リア充女子』が、普通だったら口を利くことなんて考えられない人種が違う『昆虫系男子』とあることがキッカケで共通の趣味嗜好・目的を持つ“同志”であり“同士”になる話なんですが、「リア充」なんて言葉が頻繁に登場するってだけで薄々分かるでしょうが、イタさ爆発です。このイタさこそがまさしく中二病の症状(?)の一つなんだろうなぁ。
相変わらず女子間の陰湿な関係描写のリアリティはすごい。同じヒエラルキーに属してる女子同士もそうだけど、やっぱり“目立つ女子”と“そうでない女子”の間にある感情の描き方は抜群。登場人物の中で「えっちゃん」が抜群の存在感だもん。
小学校高学年(12.3歳)〜高校1年生(15.6歳)ぐらいの女子目線で描かれたこの手の物語を読むといつも思うことですが、ほんと今の時代にその年齢でなくてよかったなと。私はずっと目立つグループ(クラスを仕切ってる系の・・・)に属していたはいたものの、頭がいいわけでも運動ができるわけでもルックスがいいわけでもなかったから“いるべくしてそこにいる”というよりは今にして思えばだけど多分必死で頑張ってかろうじて“そこにいさせてもらってた”んだろうし、でもそのくせ実は同じグループに限らず同級生も先生(大人)も全員馬鹿だと思ってるようなところもあったりしたんでそれなりに大変な時間を過ごしていたのだろうとは思うんだけど、でも大人になった今振り返ってみるとそうでもないってか、その時感じていたであろう苦しみや憎しみや痛みはあんまり覚えてなかったりするんだよな。つまりその程度の生き辛さでしかでしかなかったのかなぁなんて思うわけで、当時の私が今現在の学校に放りこまれたらどうなるか分からないよなぁ・・・と。
でも多分それが“普通”なんだと思う。生き辛さの度合いに差はあれど誰しもが通る道であり、そこにどれだけの“自分だけのドラマ”、この作品で言うところの「悲劇」を見出せるか生み出せるか、そのセンスこそが『中二(病)』である、的な?(笑)。なーんてことを考えたりしました。
辻村さんはやっぱり大人になってからあの頃を振り返る形式よりも、その時間にどっぷり浸かってる女子の話の方が断然イイと思う。