『モリのアサガオ』第3話

今回は及川がさほどしゃしゃらなかったせいか、大分見やすかったなぁ。欲を言えば平田満演じる笹野と若林さんだけで良かったけどw。
で、今回もまた・・・凄かったな。復讐という負の連鎖を止めるためにも死刑は必要かぁ・・・。息子の仇討ちの結果死刑囚となった父親・笹野の物語ではあったけど、わたしは殺されたいじめっ子の両親の方が気になる・・・というか、「自殺した少年に対しては申し訳ないと思うけど、息子を殺した犯人は許せない」ってどれほどの枷なんだろう・・・と思った。許せない=殺したいと思ってしまったら、それは息子を殺した犯人を肯定するというか、犯人の想いに同調することになるわけで、そのジレンマたるや想像できないわ。語弊を生む言い方になるけど仇討ちした笹野の方が気持ちとしては“楽”なんじゃないかなぁ・・・とか考えたら、復讐の連鎖を止めるためにも死刑は必要って意見に納得できるような、でもできないような、毎度のことだけど、複雑な気持ちです。
笹野はこれまでずっと若林さんではなく自分が殺した少年の親が息子の墓に花を供え詫びてくれていたという事実を知り、自分のしたことの重みが死刑に相当することを改めて受け入れたわけですが、多分、命日にお墓参りしてくれてるのってお墓で出会ったあの夫婦だけなんじゃないかなと思うんだよね。あの二人が夫婦ではなくそれぞれ別のいじめっ子の親だとしても、少なくとも一人の親は息子に対してそういう気持ちは持ってないんじゃないかなーと。息子が自殺した当時のいじめっ子の親の反応は断固認めない!って態度だったわけだし。だから渡瀬に触発されたにせよなんにせよ、死刑の執行を先延ばしするためになどという理由ではなくて、本気で改めて自分の罪が死刑に相当するのかどうか再度問いたいという思いであるならば再審請求はすべきだとわたしは思ったけどな。
でも多分、息子の墓参りにきてくれたいじめっ子の親はたとえ笹野の刑が死刑ではなくなりいずれ出所できることになったとしても、復讐をしようとは考えないんじゃないかなー。少なくとも息子の敵討ちをしようとは考えないと思う。きっと。それは息子に対する愛情の深さの差ではなく、復讐だろうがなんだろうが人を殺すという一線を越え(られ)るか越え(られ)ないかの差、だと思う。
今回のゲスト、平田満さんは淡々と狂う役が相変わらずうめーなと!。これはあくまでもわたしが役者・平田満に抱いているイメージなんで平田さん本人に対してそう思っているわけではないということを明記しておきますが、人を殺せる人と殺せない人に二分するとしたら、平田満は間違いなく殺せる人のオーラを持ってると思うんだよな。それは柄本っちゃんもぬっくんもそうだし、そういう意味でもこのドラマの死刑囚キャスティングは上手いなと思う。
ていうか死刑囚たちの手のひらを太陽に〜の合唱怖かった・・・・・・。