『龍馬伝』第20回「収二郎、無念」

あの場でああいう形で収二郎に謝ってしまうところが武市さんの心底ダメなところであり可愛いところでもあるんだよな(決して“いいところ”ではない)。収二郎を助けられなかったことを謝るのはいいとしても収二郎を誘ったことや土佐勤王党を作ったことまでも後悔しちゃうってのはさすがにいかんだろ・・・。心の中で後悔するのは武市さんの自由だけど、武市さんの立場でそれをこの状況の収二郎に言うってのはダメだって。でも、それでもわたしはこのドラマの武市さんが好きだしさ、それはきっと収二郎も同じだと思うんだ。下士という犬猫同様(どころかクワガタ以下・・・は武市さんだけか^^)の身分でありながら土佐を、ニッポンを変えたいと強く思った。その気持ちは絶対に間違いじゃなかった。ただやり方を間違えただけだったのだと思う。収二郎が容堂公という悪魔の誘いに乗ってしまって武市さんを裏切り(出し抜き?)自分こそがトップに立とうと思ってしまったこと(ドラマの中では流されるようにして描かれただけだったけど、実際“朝廷の威を借りて何らかの動き”を行ったんだよね?)は事実なわけだし、その上で収二郎が武市さんとともに進んだ道を後悔してないと思えたのなら、武市さんが捕まることを覚悟の上で土佐へ戻りゴメンねって言った甲斐があった・・・・・・・・・んだと思いたい。
だから、だからわたしは収二郎は『無念』ではなかったと思うの。武市さんに隠れてコソコソをあれやこれやはしたけれど、収二郎が悔やんでいるのは「武市さんに隠れて」の部分だけであって、「あれやこれや」は後悔してないと思うのよ。だって収二郎なりの『志』があっての行動だったんだから。自分は間違ったことはしておらん!と、その志を貫き通すために「切腹」するってのは武士としてむしろ「誉れ」なわけでしょう?強がりがあったとしても実際収二郎もそう言ったわけだし。侍って“そういうもの”だと思う。だから決して無念というわけではなかったとわたしは思う。
ていうかなぁ・・・今収二郎が、勤王党が、そして自分がなぜこんな状況下に置かれているのか、その理由は「容堂の右腕である吉田東洋を殺したから」であるのに(下士の分際でってのは当然のことなので対外的な理由として、という意味で)、それが分かっていても尚武市さんは「東洋は奸物であり死ぬのは当然」と言い切るわけか。もうその時点で東洋殺ったの俺ら俺ら!って言ってるようなもんなんだけどさ(笑)、その時武市さんが思い出してるのが例の顔面キックの場面だったもんで、その“死ぬのは当然”に私怨が少なからず混じっているんじゃ・・・?と思えてしまうんだよなぁ。


その頃岩崎家では喜勢がなぜ弥太郎のところへ嫁に来たのか、ついにその謎が明かされました!。なんと喜勢は占い師に「糞まみれの男と結婚しろ」と言われたからでしたー!ズコーッ。まぁね、糞まみれの男がそうそうそこいらに転がってるとは思わないので、結局は弥太郎と結婚することは(クソまみれだけにw)臭い言い方をすれば“運命だった”ということになるのでしょうが、わたしさ、弥太郎ってもうちょい頭いいと思ってたのね。頭はいいけど身分が低いがためにその頭の良さを生かす機会に恵まれないんだと思ったの。でもなにやらここ数回の坂本家への愚痴まじりのタカリっぷりを見てると・・・弥太郎って・・・実はそうでもないのか?と思えてきたわ(笑)。初回からずっと思ってることだけどこの弥太郎が三菱財閥を築くとは到底思えないので、もしかしてすごいのは弥太郎ではなく占い師をバックにつけた喜勢なんじゃ・・・?オマケをつけたら売れるんじゃ?とか言ってたし。
てかそんな二人のやりとりを聞きながら仲良さそうに作業する弥次郎さんと美和さんがなんだかんだで幸せそうでホッコリしました。岩崎家大好き。


龍馬?あーなんか俺に金預けてくれたら何倍にも増やしてやるとか言ってた胡散臭い人?。あんな言い分にコロコロされるとかみんな馬鹿だろ。つーか加尾の手紙で収二郎が切腹したことを知り咆哮してましたが、だからおめーは勤王党に関してなにか言う権利もなけりゃ嘆く権利もねーんだよ!!幼馴染?いつの話してんだよクソが。ついでに収二郎と武市さん(勤王党)のことを心配してるつもりでいる三人組、お前らも同じだぞコンニャロー!!。
龍馬に会いにきた権平さんがなぜだか海軍塾で揉まれまくり、そのうちだんだん楽しくなってきちゃってる様はちょっと面白かったです。龍馬はみんなに好かれてるんですねー。