京極 夏彦『数えずの井戸』

数えずの井戸

数えずの井戸

番町皿屋敷をモチーフにした作品で、お殿様である青山播磨から貧乏人の米搗き青年まで幾人もの視点(心情)で語られる物語は読み応えがありました。それぞれの立場で生きる不器用な人達の美しくも凄惨な末路にウットリ夢中になるあまり思いっきり電車乗り過ごしたぐらい久々になっちを読んだわ〜という充実感でみつしりです。物質的にも心情的にも自分の現状に100%満足してる人なんていないだろうとは思いながらも登場人物全員の煮え切らなさというか自分探しというか、そういう自問自答にはイライラしましたが(腰元は除く。この人は正しくはないかもしれないけど唯一自分のすべきことが分かってる(と思い込んでる)人なので)、それがまぁ、生きるということなんだろう。
みつしりと言えば魍魎ですが、「欠けてる」だの「満たされてる」だのという言葉(思い)が鍵となるせいか、読書中ずっと魍魎に登場する久保竣公さんの影がチラついてました。