初出勤

初出勤

初出勤


ようやく聴きました。
今週末のライブは行けないんだけど実は今年の初めにセツナのライブを見てまして、その時はセツナ自体がどうこうというよりもその直前の内FIVEQライブでのQの扱いの酷さってのがあったせいで全く冷静に見られなかったのね。一旦はあらゆることを割り切ったつもりだったんだけど、Qの現在とだいじろの現在を続けざまに見ちゃうとやっぱりダメで、こうなってしまったことを頭では受け入れてるつもりなんだけど耳も心も拒否してしまう・・・そんな感じだったわけです。覚悟してた以上に心が痛かったんだよね。で、その場でだいじろがムカつくほど楽しそうに歌ってたならまだよかったんだよね。多分ムキーーーーー!ってなったと思うんだけど、そう思えたらどれだけよかったかなと思う。でもだいじろはわたしの目には『必死』で歌ってるように見えたんだよね。背負わなくていいものを背負ってるように見えたの。もちろん背負う覚悟で新しい道を選んだんだろうから背負ってるのは当然っちゃ当然のことだと思うし、逆に何一つ背負わず俺自由!!って言われてもそりゃねーよって思うんだけどさ、わたしが思ってた以上にだいじろは重い荷物を背負ってるように見えたんだよね。そしてその上で必死で歌ってるように見えた。それがなんだか痛かったのです。そんな記憶があるから、聴くまでにちょっとばかりの勇気が必要でした。やっぱりね、わたしが知ってる音じゃないよね。当たり前だけど。シンプルなんだけど洗練された音に聴こえる。プロっぽいってことなのかなぁ。でもだいじろなんだよね。ほとんどの曲がだいじろの作詞作曲なんだけど、紛れもなくだいじろの曲なの。でさ、やっぱりわたしだいじろの曲がだいじろの声が死ぬほど好きなんだよねぇ。だから初めてちゃんとした音源という形でだいじろの歌を聴けることはものすごく嬉しい。でもそれと同じだけ泣きそうな気持ちにもなってしまう。だってなんでこれQで出来ないの?って思っちゃうんだもん。確かにアレンジなんかは全然違うから曲の感じは違って聴こえるけど、それでもだいじろの根底にあるものは何も変わってないってのが分かってしまうわけですよ。だいじろがやりたかったことは何も変わってないんだなってのが分かるの。だからだいじろ自身は何一つブレてないんだよね。それが頼もしい反面寂しい・・・のかなぁ?。自分でもよく分からないんだけど、変わって欲しくないけど変わってくれたらラクなのに・・・って感じ?かなぁ。
1曲目の「都会」と2曲目の「777」はだいじろからの名刺代わりですね。コレが俺の曲だ!みたいな。わたしが今現在一番好きなのは3曲目の「ブルートレイン」。「都会」よりもセツナ度はこっちの方が高いと思うし、ありそうであんまりないメロディーラインとだいじろの声がよく合ってて、ああ、やっぱこの人はやっぱり歌わなきゃダメだ!って改めて思い知らされます。
まだしばらくはすっぱり割り切って受け止めることはできないけど、自分(たち)で作った初の音源リリースおめでとう!。だいじろが全てを捨てて(イヤミw)作った曲たちを大切に聴き続けるつもりです。