『アイシテル〜海容〜』

これって子供が子供を殺す事件を被害者と加害者の母親目線(双方の母親の心情)に沿って描く、ということなんですよね?ドラマはそれプラス児童福祉士(これもまた母親)目線も加わるようですが。被害者サイドにとっては憎むべき犯人が子供だったということで怒りや憎しみの持っていき場所に困って苦悩すると。ついでにありがちすぎて萎えるんだけど“被害者の人権”についてもまた悩まされると。で、加害者サイドはもちろんなぜ自分の子供が殺人なんてことをしたのかってことなんだろうけど、なんか全然緊迫感とかなかったんだけど・・・・・・。自分の息子がさらに幼い子供を殺したと聞かされて泣いて失神(笑)するのはまぁいいとしよう。その後のあの夫婦なんなん??気が動転してるから警察に出向くのは明日の朝で結構です言われて素直にそれに従って、「俺会社クビかなー」「そんなことしかいえないの!?」「お前は子供の様子に気付かなかったのか!?」「わたしのせいだって言うわけ!?ヒドイっ」ってなんだこの陳腐な会話。いや、そんな状況に置かれたこともなけりゃ置かれた人も知らないから実際のところはこんな感じなのかもしれないし確実にこういう会話はあるんだろうとは思うんだけどね、それにしたってこの時点でこの会話は早過ぎじゃないか?だってまだ自分の息子がやったって確定でたわけじゃないわけじゃん?。ついでに言っちゃえば被害者家族の娘のテンプレセリフにも萎えたわ。それまで典型的なゆとり娘みたいに描いといていきなり「私達は被害者には知る権利がある」とか言わせるのもね・・・なんか安っぽすぎないか?。テーマってか取り扱ってるものはこれ以上ないってくらい重いと思うんだけど、あえてそうしてるのかそうなってしまってるのか分かりませんが受ける印象は薄いとか安いとかそんな感じだった。その前のキャッチボール中の会話からも父親は薄っぺらい人間だってわかるからまぁ父親に関してはこういう人いるよなーと思ったけど。二人とも子供のことよりもまず自分の保身を考えてるってかこんなことになった自分可哀想って思ってるみたいだから、そこいらへんがあの子供の動機に関係してくるんだろうけど、それが分かって両親かもしかしたら母親だけかもしれないけど(どう考えてもまともな親なら夫婦揃って警察行くだろ)心入れ替えて子供とともに生きていきますって展開になるのが見えてんだけど。ついでに被害者家族も加害者家族を許そうと努力しようとすることで前を向くとかそんな感じでしょ。例えどんな理由があるにせよ、人を殺したら家族も含めて人生終わりだと思ってるわたしはそういう結末は受け入れられないと思うのでもう見なくてもいいかな。
ていうかこれ、母親と母親じゃない人では受け止め方が全く変わってくるよね。いい歳していまだにプラップラしてるわたしがどうこういうべきドラマじゃない・・・んだと思います。

それにしても日テレは有明兄弟の長男(齋藤隆成くん。銭ゲバ風太郎)に続いて次男の嘉数一星くんにまでも人殺し役やらせるとか鬼ですね!

そしてわたしがこのドラマ(の初回)を見る理由だった刑事役の劉鵬兄さんこと高山猛久さんはどこに出てたんですか?録画してるから再チェックは可能ですが話が話だけにリピる気力が湧きません・・・。