貫井 徳郎『乱反射』

乱反射

乱反射

ある『事故』の裏にある真実。とても、とても読み応えがありました。憤ったし怖かった。これは全ての人が読むべきだと思います。


以下、内容に触れています。






昼間は混んでいるからという理由で夜間の救急外来を利用。屈むと腰が痛いからと犬のフンの始末をしない。車庫入れが出来ない車を路上放置。先のことを考えずその瞬間の自己を満足させるためだけに行動する。責任をとりたくないからと目の前の仕事を他人に廻す。これぐらいはどうってことないだろうとやるべきことを怠る。それら全てが一人の子供の死を誘発する原因です。どれか一つでも欠けていたらその死は防げたかもしれない。でも防げなかった。簡単に言ってしまえば「不運だった」ってことになるのかもしれないけれど、一人ひとりが「これぐらいはいいだろう」とか「これぐらいは仕方がない」とか自分に言い訳しつつとった行動が結果として一つの死をもたらしてしまった。新聞社に勤める死んだ子供の父親は、それぞれを訪ねそれぞれがとった行動の結果子供が死んだことを教え、謝罪の言葉を求めようとする。でも誰も謝罪の言葉を言おうとはしない。それどころか自分は悪くないとか悪いのは社会だとか言い募り自分がとった行為の責任を認めようとすらしない。そのことに怒り憤りそして絶望する父親。でも父親は思い出す。自分もゴミの回収日に旅行中だからと旅先のSAで家庭用ゴミを捨てたことを。そして自分もまたそれらの人々と同じだったことに気付く・・・。
途中までは一見なんの繋がりもなさそうないわゆる「一般市民」たちの視点でいくつもの物語が語られ、やがてそれが一つの死に向かって手繰り寄せられていく様は美しいと言っていいぐらいでさすが貫井さんだなぁと感嘆しましたが、それぞれの物語はまさに腹立たしいの一言なのです。車の放置は論外として、中には同情すべき理由もあります。でもだからと言ってすべきことをしなくていい理由にはならないし、言い訳でしかないんだよね。・・・というのは単純に読者としての視点であって、じゃあ私はそういう行動を取ったことがないのか?と聞かれたら、とても「はい」とは答えられない・・・と思った。これまで何十年か生きてきて、「しょーがないよね」とか「これぐらいはまいっか」って自分に言い聞かせてとった行動がなかったとは到底言えない・・・と思った。具体的に思い出せはしないんだけど、思い出せないからこそ怖い・・・と思った。まさか自分の行動が誰かの死の原因になってるとは思いたくないけどでも分からないわけだし、死とまではいかずとも何らかのよくない出来事のキッカケになってるってことは充分あり得るわけだから。私の行動が誰かに(何かに)なんの影響も及ぼさなかったとしても、私は小さな違法行為・・・ルール違反マナー違反をいくつ犯して生きてきたのだろうか・・・と思った。そして今こうやって自分を戒めたとしても、この先もきっと「まいっか」って思ってしまうんだろうなと思う。人間は・・・少なくとも私は、愚かだから。でも、愚かだけど、「まいっか」って思わないようにしようと思う。・・・・・・とりあえず今は心の底からそう思います。


それから、ほんっとにわんこのうんちの始末はちゃんとしなきゃダメです。この本の中でこのじじいが一番腹立たしかったわ。腰が痛いからとかほんと理由にならない。マジックハンドタイプのうんち始末器具を使うとかいくらでも方法はあるんだから。そういう身勝手な人のせいでわんこが入れない場所がどんどん増えてることを理解してほしいわ!