桐野 夏生『メタボラ』

メタボラ

メタボラ

記憶を失った「僕」は沖縄の森の中で出会った昭光から名前を貰った。ともにほんの少しの時間を共有し、別々の道を歩くことにした二人。昭光からもらった名前で一つ一つ持ち物を増やしていく僕だったが、やがて記憶を取り戻す。二つの名前が、二つの人生が、僕の中で入り混じる。その頃昭光は恋に絡め取られ・・・。


沖縄を舞台に、育った環境も性格も真逆だけど、ともに全てを捨てたいと願う二人の青年が出会い、離れ、再会し、そしてともに旅立つ・・・決して明るい話でもなければ前向きな話でもない、生きることに不器用な二人の青年が緩やかに、そして確実に壊れていくという話なのに、ページをめくる手が止まらなかった。私いつも通勤電車の中で本を読む習慣なのですが、集中しすぎてまず朝の電車で降りる駅を2駅も乗り過ごし、帰りの電車は朝のことがあるから気をつけようと思ってたのに地元の駅を1駅乗り過ごし、次の日の帰りの電車もまた乗り換え駅を1つ乗り過ごしました・・・。本気でビックリ(笑)。だって全然面白い本じゃないんですよ?話しが進むにつれてどんどんと追い込まれ、むしろやるせなさと無力感でいっぱいになるような本なんですよ?なのに読むのをやめられなかった。何かに絡めとられるようだった。僕と昭光(通称アキンツ後にジェイク)二つの視点で進むのですが、アキンツの語りや思考がアキンツの出身地である宮古島の言葉で描かれていて、読みにくくはあるんだけどそれが視点の変化によって不思議なリズムを作り出し、そのリズムに酔い始めたところで僕の長い回想に打ちのめされ、そしてもしかしたら幸せと言えるのかもしれないラストへと向かう流れは不思議な引力を感じました。バカすぎるアキンツもそんなアキンツに希望と憧れを抱いていた僕も、どっちも共感も同情もできないけど、でもなぜかその必死さがとても愛おしい。
何のために生きてきたんだろう・・・。何のために生きてるんだろう・・・。そんなことは分からなくとも、やっぱり人は1人では生きることはできなくて、他人を求め救われて、他人に絶望し死を望む。生きるって、めんどくさいよな。
二人に関わる女が何人か登場するのですが、みんなそれぞれイヤなところがある女でして、僕の性癖のこともあってより一層女のイヤなところが引き立つ・・・という言い方はおかしいか(笑)、目につくんだよな。相変わらず女の描写には容赦がない桐野姐さんでございます。