TBS スペシャルドラマ『僕たちの戦争』

思いのほか面白かった。戦争3部作?みたいな扱いだったので、原作の、戦争を扱いながらもいい意味での軽さというかとっつきやすさみたいなものがなくなってしまったらいやだなと思っていたのですが、雰囲気は原作のまんま、忠実に実写化してくれてたと思う。
時代が変わってしまった健太と吾一がそれぞれ時代に適応していく過程の描き方が物足りなかったな。特に健太の方。あの時代の若者と接することで、中途半端な生き方をしてきた健太は自分にとって大切なものの為に死ぬことの意味というかその行為の尊さというか、そういうものを知ったのだけど、同じように健太と接することであの時代の若者たちも何らかの影響を受けたと思うんだよな。思い悩む瞬間がきっとあったと思うんだよ。それは吾一の物語として充分描かれてはいたけど、そういうことを語り合うシーンとかがあれば良かったかなと思った。まぁ古屋役のうどんちゃんこと浅利陽介くんと久保田役の内田滋さんがもっともっと見たかったというだけなんですけどね。

そして原作を読んだ時と同じようにまたもや思う、セックスすれば健太じゃないって気付きませんかミナミ!と。精神だけが入れ替わっただけじゃなくて、肉体そのものも入れ替わってんだからさ、健太のチ○ポと違う!て思いそうなもんなんだけどな・・・。そういうドラマじゃないってことは重々承知してますけどね、どうしてもそう思ってしまうんだよー。この人は健太じゃないと分かっていながらも、健太として接すると決めたのかなぁって思わなくもなかったんだけど、そういうわけでもなさそうだしな。おもいっきり真逆!ってぐらい性格が変わってしまった人を変わらず好きでいられるミナミって一見美談っぽいんだけど、健太の何が好きだったの?と思ってしまうんだよな。「健太を絶対見分ける自信がある」と宣言してたけど、実際吾一は健太ではないわけで、あんた健太の何を見てたんだよ?と。健太と吾一の共に生死のレベルでミナミを想う気持ちを考えると、なんかちょっと納得いかない。

視聴者まかせのラストシーンは賛否両論のようですが、原作の通りでもあるし、あたしは悪くないと思った。戻ってきたのはどっちなのか、健太だったら?吾一だったら?ってその先を考えることに意味があると思う。国のために死ぬことが当たり前だと思ってた吾一が、愛するもののために生きることを知り、ミナミと子供を守るために自分を殺してまでも生きることを望んだ。健太は逆に愛するもののために死ぬことを知り、ミナミを守るために死ぬことを(望んだわけではないだろうけど)選んだ。どちらも以前であれば思いもよらない感情を知ることができたわけで、どんな時代であってもそういう純粋な感情は不変だと。そしてどちらかが戻ってきたということは、どちらかは死んでしまったわけで、そのやるせなさが「正しい戦争なんてない」ということなのかな。単純に考えると、海の中で胎児のポーズで浮かんでた吾一は死んで、戻ってきたのは健太。健太はミナミのお腹の子は吾一の子(吾一の生まれ変わり)だと分かってる上で全てを受け入れる、そういうことだと思うんだけど。
・・・・・・ただねー、どうしてもミナミがそこまでの女かな・・・と思ってしまうんだな。

ミナミのじいちゃん役が玉鉄なことにしばらく気がつきませんでした・・・。ママンにこの人かっこいいねーと言って「玉鉄じゃない」と返されたときのびっくり具合といったらもう。俺の目玉ったらどうしちゃったんだろう。希林さんのおばあちゃんっぷりは相変わらず芸術の域だし、健太のほのぼのバカ両親もいいアクセントになってたし、篠井さんの軍服姿(大好物)も拝めたしキャスト的には総じて満足でしたが、なによりも未來ちゃんが良かった。外見上は親ですら見分けがつかないほど似てる2人なんだけど、表情やセリフ回しどころか声までもちょっと変えていて、健太と吾一それぞれをちゃんと演じわけられてた。CGのショボさにガッカリしながらもそれでもガッツリ惹きこまれたのは、未來ちゃんのパワーのせいだと思う。なんなんだろう、あの吸引力は。ニーッて笑われると思わず釣られてこっちもニーッて笑っちゃうような感じ。