天童 荒太『家族狩り 文庫版』

幻世(まぼろよ)の祈り―家族狩り〈第1部〉 (新潮文庫)遭難者の夢―家族狩り〈第2部〉 (新潮文庫)贈られた手―家族狩り〈第三部〉 (新潮文庫)巡礼者たち―家族狩り〈第4部〉 (新潮文庫)まだ遠い光―家族狩り〈第5部〉 (新潮文庫)


我ながら、年始早々ディープな物語をセレクトしたもんです。95年に刊行された単行本を読んだ時の行き場のなさみたいなもんは今回はそれほどでも。印象としては、ソフトになって読みやすくなったなという感じ。痛い程に愛を求める狂気性よりもいろんな意味で弱い人間が苦しみながらも生きる場所を探し求める再生の物語になってました。柔らかいとすら思えました。作者の気持ちの変化みたいなものもあったのかもしれないけれど、やっぱり社会の状況がこの数年で著しく変化したってことが大きいのだろう。今更子供が親を殺したって、親が子供を虐待しまくってたって別に驚かなくなった。「私、子供の頃親に虐待されてたんだ」なんて言われても、多分それほど特別な感情は持たないと思う。へぇーそうなんだぁ・・・とか思うぐらいだろう。
そんな世の中になっちゃったもんで、最初に読んだ時にはただただ呆然としたというか、そりゃちっこい悩みや諍いなんかはあるものの、概ね平和で幸せだと思う自分の家族と比較してしまい、どうしてこの作家はこんな酷い物語を書くのだろうか・・・自分の経験なんだか見聞きしたものなんだか、それとも想像なんだか分かんないけどなんか怖い、とどこか特別で特殊な物語のように思ったもんですが、今は物語としては、「普通」になってしまったなぁと思った。そのせいか、到着点(この先ずっと人生は続いていくのだろうけど、物語の到着点)が綺麗すぎて、絵空事みたいに思えてしまった。そんな簡単にはいかないんじゃねーの?なんて意地悪な思いで読み終えた。単行本と比較してばっかりだけど、当時は長く暗いトンネルの先にちっちゃい光がやっと見えた、みたいな感覚で読み終えたのに。心を病んでいる刑事の嫁の自立や美術教師の家に集まる教え子と身体の不自由な人たちとの交流など今回大幅に加えられた部分に対して特に消化しきれない思いを感じてしまう。そんなに余裕ないと思うけどなんて思ったり。
社会がどーこーじゃなくて、私自身の問題というか変化の結果、こういう感想になったのかもしれないな。うーん・・・、持ち運びやすそうだったのでセレクトしただけだったんだけど、初読みとしてはどうやら選択ミスしたっぽいぞ。ちょっとブルー。