絢爛豪華 祝祭音楽劇『天保十二年のシェイクスピア』@日生劇場

高橋一生が2016年以来3年半ぶりに舞台に出演。演じるのは極悪非道のド悪党って時点で楽しみすぎるのに、演出が藤田俊太郎だってんでメーター振り切れるほど期待しまくりでしたが、期待しすぎちゃったかなぁ・・・・・・可もなく不可もなく、という感じでした。
この作品について、いのうえ版は映像でしか見たことがなく蜷川版も1度観ただけなので思い入れ的なものは特にないつもりでいましたが、わたしの記憶にある天保十二年のシェイクスピアと比べると毒気がずいぶんと薄くて、シェイクスピア調の台詞を歌にしちゃってたりするし(歌詞を舞台両脇にテロップ表示)良くも悪くも「見やすい」という印象でした。結構な高さの2階建て(屋根も使う)のセットを変幻自在に動かして場面場面を手際よく「見せていく」演出含め。

毒を以て毒を制すじゃないけど、この偏執的で変態的な戯曲にはやっぱり「毒」が大量に必要なのではないかと思う反面、高橋一生目当てのもしかしたら初めて『舞台』というものを観るという客(が多いように感じました。そういう人は得てして感想を語る声が大きいのでそう感じたのかもしれませんが)にはこれぐらいが程よいのかなーとも思ったり。日生劇場+東宝の舞台ってこともあるかもだし(そういう意味では井上版や蜷川版と比べて藤田版の特徴は「歌」と言っていいだろう。藤田版はまさしく『音楽劇』に相応しいものであった)。

大ブレイクを果たした「今の高橋一生」が「佐渡の三世次」を演じる意味。「今の高橋一生」に「佐渡の三世次」を演じさせる意味。

わたしはそこに『新たな(舞台上の)高橋一生』がいるであろうと、そうあたりまえに思っていたわけですが、今の高橋一生の枠のなかでの悪人であり、それ以上でも以下でもなく、そこに驚きは皆無でした。

でもですね、わたしが思い描いていた『新たな(舞台上の)高橋一生』はそれこそ「four」であり「マーキュリー・ファー」であり「レディエント・バーミン」の流れ、その先の高橋一生でして、つまり狭いキャパシティでとことんまで濃厚で濃密な演技をする高橋一生でして、でもこの作品は日生劇場なんですよね。そもそものスタートラインからしてそれらとは全然違うものだったんですよね。そこんところわたしが思い違いをしていただけだった。これだけの大きな劇場で端の席まで届く演技をしなければならないのだということを、わたしが理解していなかった。
ということに思い至ったら気持ちがガラッと切り替わり、(浦井くんの人気を見越してでもあるけど)高橋一生・主演で日生劇場での興行が企画されたこと、これほどの劇場で「座長」としてカンパニーを率いるほどの存在になったんだなという視点で観られるようになり、するとたちまち誇らしくなってしまうとかファン心ってチョロいですよねw。ド悪人を軽やかに生き生きと演じる一生くん最高!嘘つき最高!ってなりますよねw(一番好きなシーンは清滝村を束ねる跡目を誰にするかの親分会議で兄貴を褒め殺しするところ。ここ高橋一生の真骨頂すぎた!)。

そういう意味で、これこそが紛うことなき『今の高橋一生』ということなのだろう。

高橋一生目当ての観客が多いように感じたと前述しましたが、幕間や終演後に聞こえてくる話に耳をそばだてると(ダンボ状態で聞き耳立てましたw)、そういう人たちが疑問に思う描写やら台詞やら展開やらはほぼほぼ「シェイクスピア作品(元ネタ)がそうだから」で終わってしまうものなんですよね。王次がお冬に「尼寺へ行け!」と言うのすら(言われたお冬が狂ったあと自殺するのも併せて)解らないと言っていたのにはさすがにちょっとぼんやりしちゃったけど(それだとこの作品の「面白さ」はほとんどわからないのではないかと・・・)、そういう人たちの足を劇場に運ばせる、それだけの力が今の高橋一生にはあるのだということを堂々と証明してみせた。
あとはついに東宝Blu-rayで発売を決めた円盤がどれだけ売れるか、だな。今後の東宝作品のBlu-ray化にもかかってくると思うので、高橋一生オタにはぜひとも頑張っていただきたい!。


・・・ってところで日生の残り公演と大阪公演の中止が発表されましたが、撮影日があったって話聞かないんだよな・・・。東京の千穐楽とか大阪公演で収録予定だったとすると、予定変更して今日収録ってことになるか、円盤発売も中止ってことになるのかな。
こういう形で公演を終えることになることも併せて仕方がないこととはいえキャストもスタッフも無念だろうな。