NODA・MAP第23回公演『Q』:A Night At The Kabuki@東京芸術劇場 プレイハウス

野田地図作品は過去に数作(歌舞伎作品を除くとオイルとキルとエッグ)観たことがあるのですが、とにかくもう「わからん!」でして、わたしの知性・感性では到底太刀打ちできないと判断し、今では遠巻きに見ているだけなのですが、今回はQueenの楽曲を元に作品が作られるらしいということ、タイトルに「Kabuki」とあること、そして「松たか子上川隆也」の名前が並んでいること、主にこの3点、特に3つめを理由に「わからなくてもいいから観たい」という気持ちがふつふつと沸き上がり、久しぶりに野田さんの世界に足を踏み入れることと相成りました。

繰り返しますがわからないであろうことは覚悟ではなく確信してたんで、わからなくても落ち込まない・・・!と自分に言い聞かせて席に着きましたが、これがですね、今回はなんとこれが理解できたんですよ!!。もちろん野田さんの意図を「ちゃんと」「しっかり」理解できたとはまったくもって思いませんが、ロミオとジュリエットという物語に沿ってというか、それを下敷きにして「それから」を描くというものであったおかげで、『わたしなりに』(←ここ重要)理解できたし、受け取れたし、なにより楽しめたのです。
・・・・・・やっぱり、わかると楽しいね!。と、カーテンコールで拍手しながら謎の感動に包まれているわたしがいました。

なにがわかったって、観るたびにわたしを苦しめ悩ませ諦めさせてきた「戦争(反戦)」の描きかた、取り込みかた。
前半(1幕)はほぼほぼロミジュリを踏襲しているというのに、「両家の争い」だったものが唐突(と感じた)に「戦争」という言葉が飛び出しリアルな「戦(いくさ)」の話になるのにはやっぱり気持ち的についていけないというか「なんでそうなる?」と思ってしまったのですが、この作品ではそこに流れがあったのです。
ロミオとジュリエットと言えば「ああロミオ、どうしてあなたはロミオなの。その名を捨てて」ですが、この「名を捨てる」ということが最終的に「戦場で命を落とす無名戦士たち」に繋がるだなんて、まさかすぎて、この仕掛けを理解できた瞬間文字通り身体が震えました。

その前に平清盛の息子・瑯壬生(ろうみお)であることを隠すべく偽名を名乗る、という展開があるんです。偽名を名乗り送られた先はシベリアの収容所で、恩赦があって国へ戻れることになるも、戻れる者リストのなかに瑯壬生が名乗っていた「平のへいへい」はないのです。なぜならばそんな人物は存在しないから。
と、ここでタイトルにあるkabukiが意味を持つのかと、なるほど『俊寛』か!と膝を打ったわけですが、「その名を捨てて」が真の名を名乗れない、名を持たない者になってしまうというこの皮肉すぎる展開の時点でわたしはなるほど!理解できた!と内心有頂天になっていたというのにまさかまさかその先に「無名戦士の屍の山」があるだなんて、あまりにも見事すぎて、あまりにも恐ろしすぎて、天国から地獄みたいな気持ちになりました。

さらにですね、この作品最大の特徴であるQueenの楽曲が物語を彩るわけですよ。とはいえわたしは曲こそ知ってるもののQueenというバンドに対しては何の思い入れもなかったものが「ボヘミアン・ラプソディ」を観てQueenのメンバー全員愛おしい・・・っ!最期までフレディのおともだちでいてくれてありがとうジム・ハットン・・・っ!となったわかりやすい日本人なので、そのシーンでその曲が流れることの意味・意図を考えながら観ることはできませんでしたが(そこまで考えてたらたぶん頭蓋骨割れてた)、それでも曲の力というものは偉大なもので、曲によって引き込まれるというより包み込まれるようで、なんか“その気”になっちゃうんですよね。
正直言うと、こんなことを言うとおまえそもそものところが全くわかってないじゃんよー!と怒られてしまうでしょうが、「ロミジュリ」や「俊寛」ほど「Queenの楽曲」という要素がこの作品において欠かせない要素だとまでは思えなかったのですが、あたまではなくハートにね、オペラ座の夜の楽曲たちは訴えてくるんですよ。なので気持ちを掻き立てられた。上川隆也のそれからの瑯壬生が竹中直人の凡太郎に頼み届けてもらった松たか子のそれからの愁里愛に宛てた手紙のシーンとか問答無用の場力(ばぢから)だったもの。

野田さんと言えば「布」ですが(そういうイメージ)、新床のシーンで広瀬すずの愁里愛と志尊淳の瑯壬生と松たか子のそれからの愁里愛と上川隆也のそれからの瑯壬生による「入れ替わり」が見事でした。仕掛けとしても演出としてもとても美しい瞬間でした。


ということで、松たか子さんと上川隆也さん。さすがだった。自撮り棒(凶器として優秀すぎるw)でぶん殴って意識失わせたあとゲシゲシ蹴って始末(のを天丼)するお松、始末されるのが橋本さとしさんであることも併せてさいこうすぎた。
あとナマ広瀬すずはとんでもなく可愛かった。最近とくにアイドルとして活動していた(している)人を舞台で拝見する機会が多いのですが、誤解を恐れずに言うけどとにかく「モノが違う」わ。