『仮面ライダージオウ』最終話「2019:アポカリプス」

ゲイツツクヨミが世界を守ってくれて、ツクヨミの世界を任せたと言われたというのに、仲間がいなきゃ王様やる意味なんてないと言ってのけツクヨミの世界ごとリセットして(別の世界、時間軸から来た)喪った仲間を「友達」にして2018年に戻りました!という『常盤ソウゴ(だけ)の希望通り』な結末はまさに魔王の所業ってことである意味納得ですが、ウォズはなんなの。(加古川飛流は放置で)ウールとオーラは「王様先輩あこがれる///」なんて後輩キャラにしてるのになんでウォズだけリセット世界にいないの。
ウォズがスーツにループタイに眼鏡で歴史の先生になってたら(脈絡を無視していいなら好みとしては白衣で保健室の先生だけど!どどど!!)その記憶だけ残してあとは全てなかったことにしてやったのに。


これまでさんざんオーマジオウになるならないとやってたのが「怒り」という感情でオーマジオウになってしまった、なれてしまったことはソレとして、2068年のオーマジオウって結局なにがしたかったんだろうね。自分の思い通りの世界を造ることができるのに、人口を半分にして最低最悪の魔王と呼ばれていたのはなぜなのか。自分が消えると理解したうえで若かりし自分を助け「会えて楽しかった」と言ったその気持ち。それらについて(本編では)全くのノー説明で終わるとはさすがに思いませんでした。

2年連続で同じような(そこに至る過程であり経緯が違うから感じ方としてはずいぶんと違うけど)世界を再構築するという終わらせ方だったけど、こういうのって「それしかない」場合にのみ許されることだと思うのよね。龍騎もビルドもそうだった。でもこれは違う。わたしにはこの終わらせ方しかないとは思えない(だって時間を戻せる能力持ってますからね)。それなのに去年と同じ(ような)ことをした。そしてそこに確固たる理由や意図、メッセージ性があるとも到底考えられない。何の考えもなしに去年と同じことをしたとしか思えない。
時代の変化やわたし自身の感性の衰えといった理由もあるでしょうが、ここ数年特に仮面ライダー作品の総合力が落ちてるというか、作り手の能力に疑問を覚えることが増えてきてたんだけど、そういう意味で平成ライダー最後の作品がこういう終わり方をしたというのは必然なのかもしれないな(ソウゴ役の奥野くんがラジレンジャーでこれからの目標としてずっと続けてたクラシックバレエをもう一度ちゃんと学び直したいと言ってて、高校を辞めてこの仕事に挑んだんだろうに、役者として次の目標を見つけることはできなかったんだろうなぁ・・・と納得できちゃうと同時にものすごく同情しちゃうわ)。なので次のゼロワンへの期待もほどほどにしておこう・・・。


と思ったら、ゼロワンに山本耕史さんが出演するってまじかあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!。
全 裸 待 機 !!!!!!。
(ていうか今まで言ったことなかったんですけどわたしの夢として「藤原竜也仮面ライダーに出演」というものがあるんですよ。山本耕史が本編にレギュラー出演する世界が始まるとなるといよいよわたしの夢も実現するのではないか!?という期待が高まってしまうのですが!!(言霊!!)。あ、もちろん敵側での出演な!)