リンカーン・センターシアタープロダクション ミュージカル『王様と私』@東急シアターオーブ

素晴らしかった!ただただひたすらに素晴らしかったです!!。

上演が発表されケリー・オハラさんが出演すると知った瞬間「観たい!」と思ったもののチケット料金が予想よりも結構な高額で一度は諦めましたが、発表された追加キャストに「大沢たかお」の文字を見つけた瞬間猛ダッシュでSS席確保に走りました。たかおのためなら問答無用で金は出す!!!。

ってなわけで、わたしのお目当てはクララホム首相役の大沢たかおさんでしたが、いやあ・・・・・・1幕が終わるころにはケリー・オハラに夢中でしたわ。まーじ可愛い。可愛いだなんて失礼かもしれませんが、だって可愛すぎるんだから仕方ない。王様の子供たちと一緒になってクルクル踊ったり歌ったり笑ったり、約束したはずの家を用意してくれない王様の悪口を上半身下着(ですよね?)姿で歌い上げまくったり、この国では王より頭を高くしてはいけない(から下げることを約束する)と言われ最終的に寝そべっちゃったり、嫌味のない知性を持つアンナという役がそもそも素敵なのはあるのでしょうが、やっぱりそれを演じるケリー・オハラの魅力が大きいと思うんですよ。ほんっとにかわいくて、アンナが歌うたびに涙ぐむ始末。歌声を聴くだけで涙が出ることってほんとにあるんですね。

素晴らしいとは聞いていましたが、ケリー・オハラの歌声はほんとうにすごい。次元が違うと言うしかない。
台詞から歌への入り方がとんでもなく自然なんですよね。ミュージカルが苦手な人がまず言う「突然歌いだすことの不自然さ」、これがまったくないんです。ケリーさんの歌を聴いて改めてそのことを強く意識したのですが、台詞から歌に入るとどんなに上手い人でも声だったり声の出し方だったり、そこで変化してしまうものだけど、ケリーさんの場合は流れるよう。

今回は完全に英語での上演ということで、台詞も歌詞も舞台の両端に字幕が投影される形でしたが、日本語だと一言で終わってしまう歌詞を結構な音数を使い歌っていたりするところが多かったので、英語と日本語の違い、英詩を日本語に訳すことによる不自然さというものはわたしが思っている以上にあったりするんだろうなとも思ったわけですが、それを差し引いても、というかそういうゴチャゴチャしたことは取っ払って、とにかくケリー・オハラの歌声の美しさはわたしがこれまでに聴いた誰のものよりもくらべものにならないレベルですごかった。


物語はとてもシンプル。シャム(タイ)の国の王様が国を進歩させるためにイギリス人のアンナを子供たちの教師として雇い入れる。給金と家を用意してもらう約束なのに王様はそんな約束をした覚えはないと、アンナとその息子に王宮で暮らすことを強いることで初めから対立する王とアンナ。だが王の子供たちはすぐにアンナに懐き、アンナも子供たちを愛する。やがて王もアンナの知性を認め頼るようになり、お互い愛情を抱くようになるが、ビルマより貢ぎ物(奴隷)として王に贈られたタプティムが恋人と脱走したことで、王とアンナの間には決定的な亀裂が入る。アンナがシャムから出国する当日、第一王妃とその息子である皇太子が王からアンナ宛ての手紙を届けに訪ねてくる。そこに書かれた言葉を読み、王の病室へ駆けつけたアンナは王と和解。新たな王となった皇太子はまず最初に王への土下座と禁ずることを宣言する。


これだけの物語のなかには「差別」があって、「奴隷」や「野蛮人」などという言葉が何度も出てきて、それは時代や国の違いによる価値観・社会観・倫理観なんかの違いによるところが大きいことは理解できるものの、眉を顰めたくなるような台詞もありました。でも楽しい気持ちが削がれないのはアンナの知性と強さが揺らがないからだと思う。
アンナに対し「可哀想」だと思う瞬間が皆無なんですよ。王様にどんだけ暴言吐かれても、アンナは凛とした態度を崩さない。自分を曲げない。それどころかキッチリ言い返す。見ていて実に痛快なんです。

そして王様が俺様ではあるものの弱いところもあったりして、まったくもって憎めない。言ってしまえばツンデレさんなんでw、奴隷制度や植民地制度といった要素を内包してはいるものの、それがいいのかわるいのかはわからないけど、それらは愉しさを損なうほどのものではないのです。

王様がツンデレ大王になる瞬間がありまして、1幕のラストなんですが、それまでさんざん「家を用意して(そういう約束でしょう)」と要求を続けるアンナに対し取り付く島もないというか聞く耳を持たない状態だった王様が、イギリスからシャムが“野蛮人”の国なのではないかと調べるために大使がやってくることになり、その対応・対策をアンナの元で行うことを命じたあと、計画が成功するよう仏に祈りを捧げるという場面で、何度もアンナを生意気な女だったか無能な女だったか、憎まれ口を叩いたところで「アンナに家を与える」ことを祈りの言葉として誓うのです。家ネタのオチはこれかと!あまりのツンデレっぷりにニヤニヤが抑えきれませんでしたw。

そんなツンデレ王様はこの作品最大最高の見せ場である「Shall We Dance?」では、アンナに西洋式のダンスを教えてくれといい、西洋式では「こうするのではないか?」とアンナの腰を抱き寄せ戸惑いを見せるアンナに手を差し伸べて「Come」と誘うのですが、この「Come」がエッロオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!。

わたしこの瞬間まで王とアンナの間には出会った当初はあったにせよこの時点ではもう男女の性的な感情などない信頼感で繋がっている心友のような関係(マハーバーラタで言えばドゥルヨーダナとカルナのような)だとばかり思ってたんで、王様やっぱり雄だった・・・・・・・・・と結構なショックを受けたんですよね・・・。で、そこからあのダンスシーンになるわけで、これはつまり王様とアンナがそういう関係になった、ということなのではないかと思えてしまいやや複雑な気持ちでダンスシーンを見る羽目になってしまったわけで・・・(周囲の観客はにっこにこで手拍子してる中わたしだけがそんなふうに解釈していたのだとしたら居たたまれない)。

でもそのおかげ(?)でそのあとのタプティムとその彼氏に対する仕打ち、それにより王とアンナの関係が壊れてしまうことに納得ができた。
タプティムに規則は規則だからと罰を与えようとする王にやめてくれと必死で懇願するアンナ。自分を裏切った女に対し鞭を振り下ろすことができずその場から逃げるように去っていく王。
この時王は胸の痛みに襲われてるんだけど(手がぶるぶる震えてることがあったのはその前振りなんですよね?)、それを見た瞬間は胸の痛みのせいで鞭を振り下ろせなかったんだと思ったもののそのあとにクララホムの「お前(アンナ)のせいで王は変わってしまった!お前などこの国に来なければよかったのに!」という発言が続くので、実際はどうあれ周囲の人間、側近中の側近であるクララホムには「アンナに止められたせいで王は罰を与えることができなかった」と思われたってことなんだなーと。それはやはり「王にとってアンナは特別」と認識されているからで、であればその瞬間から旅立ちの日まで一度も会おうとしなかったことも併せて友情よりも愛情を理由とするほうが解りやすいから。

大沢たかおの出番は主にココ。ここだけでした。
あとはちょこちょこ王様のところに来て何かを報告するぐらいで、基本は黙って王の側で眼光鋭く控えてるだけ。乳首がっつりだした半裸にハイウエストにも程があるボトム姿で。
でも全く不満はないです。不足もない。言っちゃなんだけど「この程度の役」で「大沢たかお」が「舞台の上に立っている」ことが貴重すぎるもん。クララホム首相が大沢たかおだと気づかず帰宅してパンフレット見て驚いた人もたくさんいるというじゃないか。
そんな大沢たかおを観る機会なんてたぶんこの先ないと思うの。それが半裸のたかおであればなおさら。なので満足。WEでの公演では茶髪のモヒカンスタイルだったものが日本公演では黒髪オールバックのハーフアップ(後頭部でおだんご)スタイルだったこともあって(渡辺謙の王様はスキンヘッドイメージが強すぎるので頭髪が生えてて6割ガッカリでしたが)そこに居てくれるだけでありがた満足でした。

・・・と言いたいところですが心残りがひとつ。いつもならこのぐらいの席だったら(4列ほぼドセン)余裕でオペラグラス使って毛穴まで見まくるのにこの作品ではそれをすることが心理的に憚られる空気感だったもんでたかおの胸筋を肉眼でしか見倒せなかったことがそれです。クソッわたしとしたことが空気なんぞに飲まれやがって情けないッ!。



ことあるごとに言ってますが、わたしミュージカルってそこまで好きなわけじゃないんですよね。でもケリー・オハラという世界レベルの役者の歌と演技と姿を自分の目で見て耳で聴いて全身で感じて「ミュージカル」というものの魅力というか、価値・・・・かな、それを理解することができた気がしています。そら渡辺謙が「日本の観客にケリー・オハラを見せたい」と思うわなと、ケンワタナベにはありがとうございますと言うしかないわなと(あとわたしの財布を開かせた大沢たかおにも)。
最後にもう一度。ほんとうに素晴らしい、極上の時間を過ごすことができました!。