吉田 修一『国宝』

国宝 (上) 青春篇

国宝 (上) 青春篇

国宝 (下) 花道篇

国宝 (下) 花道篇


凄い作品に出会ってしまった。
面白いという言葉よりも先に「凄い」がくる。凄いものを読んでしまったというのが読み終わった瞬間まず思ったことでした。

まだ四分の一が終わったところではありますが、今年私が読んだ作品のなかで「一番」はこの「国宝」であると断言してもいい。しちゃう。それぐらい圧倒的というか、圧巻。


長崎で任侠の息子として生まれた喜久雄と関西歌舞伎の名家の息子として生まれた俊介。二人の男が歌舞伎の世界で生きる物語ですが、二人のみならず二人に関わる大勢の人間までしっかりみっちり描かれている。それぞれの人生を生きている。二人の物語でありながら周りの人間が共に生き共に歳を重ねていて、これだけでもう、それこそ朝ドラと大河ドラマを一緒にしたぐらいの読んだ感・・・というより「見た感」なんですよ。

「読んだ」ではなく「見た」と感じる理由は劇中で二人が演じる多くの演目を想像するから(できるから)というのが最たるものですが(ていうかこの作中で上演される歌舞伎演目が観たいのなんのって!!二人が役替わりで源氏物語とか何それ!?想像だけでYABAIんですけど!!)、私の脳内で喜久ちゃんと俊ぼんが、徳次が春江が弁天が、みんなみんな肉を持った存在として動いていたからだと思う。上下巻だけあってかなり長い年月の物語だもんで、久々に登場する(再会する)人物も結構いたりするんだけど、これ誰だっけ?となることは一度もなかったし、それどころか「わー懐かしい!」とか思えちゃうんですよ。それだけひとつひとつのエピソード、ひとつひとつの出会いであり関わりがしっかり描かれているということで、その積み重ねがこのボリューム感なんだと思うとその重さが愛おしくなる。

物語は「女性の語り」で進むのですが、この語り手が誰であるかは明かされません。読み始めてしばらくは誰がこれを語っているのだろう?と思いながら読んでいたけれど、いつの間にかそういうことはどうでもよくなってるというか(物語に没頭するあまり)考えなくなっていたのですが、それが最後の最後で解るんです。喜久雄と俊介について私に語ってくれていたのは『歌舞伎』そのものであったのだと。なんだこの神構成!!。

歌舞伎の神様なのか芸の神様なのか、まさに「神様から愛された二人の歌舞伎役者」の物語であることが理解できた瞬間の・・・衝撃とか感動とかもういろんな感情がぐわっとこみ上げるこの激情は、歌舞伎が好きだからその一連の流れと情景が全て想像できてしまう(がゆえにいやいやいやいや!まじ無理だから!そんな場に居合わせてしまった客の気持ち考えろって!!な)壮絶なラストシーンと共に、私の心にずっと残り続けることだろう。


人間ってこんな物語を生み出せるものなんですね。感動を通り越してもはや畏怖。吉田修一という作家に、その才能に、畏怖せざるを得ない。